太平洋上の樂園
米國の本土では、殊に西沿岸などでは絶對的に白人に對して頭を壓伏されてゐるが、此の布哇では日本人は中々偉い、日本人の新聞も三種もあり、神社佛閣等もある、日本人街に行つて見ると理髪店、湯屋、書籍店、饂飩屋、鮨屋、蕎麥屋等軒を並べて旺んに繁昌する、空腹を感じ薄暮頃に三人の吾々同士が、何んとか云ふ當市で一二流とかの日本料理店に入つた、そして總てが日本式なのには聊か驚かされた、烏賊の酢物、まぐろの御刺身、鞘豌豆、淺蜊の吸物、螺のうま煮、伊勢海老の鬼殻燒、其他長崎のからすみやうにの好物を始めとして、日本酒の各種類が取り集めてあつた。
藝妓も中々話せるし、內地の流行唄なんぞはそんな事に、無關心な吾々よりも前にちやんと知つてゐる、三味線も隨分逹者である、彼等の收入も隨分あるそうだ、それ等の女はおもに夫のある妻君の內で、多少藝も知つてゐるから金になると云ふ考へから勤めてゐるのであるそうである。
二三年前には實に面白い遊廓があつたそうだが、風俗紊亂とかで取り去られたそうである、それからこの島では日本婦人の和服だけは許されてゐるので白地、の單衣に大きい京模樣のある丸帯を結んで、洋傘を傾けながら內股に靜かに靑い芝生や、キヤベの樹と云ふ柳のような細い長い靑葉の下を長い、袂を搖れ搖れ縫つて行く姿は異鄕の空に再び見られぬ懐しいものである、夜の街では屋臺の蕎麥、饂飩、燒鳥も食べた一泊の夢をこの島で結んで再び翌朝早く歸船すべくお土產のバナゝ、西瓜、パインアツプル、バナナ、ぺヤー、マンゴ等を小さいスートケースに一ぱい詰め込んだ。
船渠の近くには五人の布哇土人が、大きい樂器や小さい笛のようなものを合唱しながら悲しいような嬉しいような戀の歌を唄ひながら、乗客から銅貨や銀貨を貰つてゐた、再び朝の驟雨がやつて來たかと思へば睛れた、人の心を惱ましたり喜ばせたりする南國の空を仰ぎ見ながら、再び寒い海に航すべく船に乗つた。