「男には意地ちゅうもんがあろうが。諦めたらお終いじゃ」
「弱い者いじめだけはしたらいかんぞ。卑怯な事だけはするなよ」
「他人が可愛いのは仕事。お前が可愛いのでも憎いのでも無い」
「噓をついたらいかんぞ。最後は正直者が勝つんじゃ」
「信用ほど大切なものは無いんぞ。直心の気持ちが大事ぞ」
「他人が出来ることが何で出来んのぞ。出来ん訳がなかろう。お前ならできる」
「何をするんでも人と同じようにしとったらいかんぞ。工夫せーよ。例え草抜きでも同じじゃ」
「男は一旦口に出したら後には引けんのぞ。言うことには気をつけよ」
「他人は当てにするな。自分でセー」
「天野屋利兵衛は男でござる。知っとろう。股ぐら膏薬だけには成るな」母は二股とは言わ無かった。
「こんな猫の額みたいな所に帰ってくるようではダメぞ。お前は男じゃ。夢を大きく持てよ」
「男は誰かが何か云よったからといって直ぐに尻馬に乗るなんかは最低じゃ」
「義理張りは大事ぞ。忘れたら馬鹿じゃと言われるぞ」
「他人の陰口は叩くな。自分に戻って来るぞ」
「男は立ち聞きするような卑怯な真似を絶対したらいかん」
「どこのカラスも黒いわ」
思い出すままに書いたが、実に含蓄に富んだ言葉が多く母が考えた言葉もあろうが、大部分は語り継がれてきた言葉であろう。それを子に伝えるところに母以前の世代の躾の確かさを感じる。母にこれらのことを聞かされていなければ、私の人生も現在とは違ったものになったであろう。
私は子育て中、その重要性に気づかず、娘や息子に教え込むことはなかった。大いに悔やまれる。同世代の友人に聞くと殆どが自由放任で子供の躾に疎かであったと言う。現在に見るいじめや噓の横行は、我々世代の家庭での躾の乱れが孫世代にも影響しているのかも知れない。ただその時代には道徳教育なるものはなかった。これも一因であろうが。しかし母は間違ったことも教えた。
「赤はいかん。赤だけにはなるなよ」
「長いものには巻かれろ」
「目立つなよ。目立っとったら皆に馬鹿じゃと言われるぞ」母の口から他人の悪口や差別的発言は全く無かったので、このような言葉は今思えば我が子に苦労させたくないという親心だったのだろう。