ルワンダの大虐殺

私の体表面積はデュボア式によれば一・七七平方メートル。これからのテーマを盛り上げる脇役は〇・〇二五平方メートル、その約一・四%に過ぎない。勿論表面積の大小で事を論じるつもりは毛頭無い。

しかしその大小、高低、美醜が遠因で人類史上稀に見る大虐殺を生み、日常生活では恋の成就、失恋、揶揄、差別、成功に結び付くことが往々にしてある。せいぜい〇・〇三平方メートルが大虐殺とはと、うさん臭く感じる向きがあろうかと思うので少し触れておきたい。

事は第一次世界大戦後のルワンダに戻る。大戦前までは、ドイツの植民地であったルワンダは小国ベルギー領となる。彼等は、自らの国益のみを重視し他の欧米諸国に倣い、ルワンダ国内のフツ族ツチ族を利用し間接統治を画策する。ベルギー領になるまでは、共に同じ言語を使いお互いに通婚もある農耕民族と遊牧民族の違いに過ぎなかった。

ベルギー人は三角定規と物差しで鼻を測り、細く高い鼻の少数派(一四%)ツチ族(比較的背が高く、薄めの肌、薄い唇ととがった顎)を為政者とし、平らな鼻、厚い唇、四角い顎のフツ族を下層に置いた。そしてそれがお互いの角逐・怨念を生み一九九四年の犠牲者一〇〇万とも言われる大虐殺の遠因となる。

事の始まりは、呼吸・嗅覚の器官としての鼻を、高貴さと捉えたベルギー派遣官による本国への上申、いや上申もせず、事を決めたであろう傲慢な愚かな決定が悲劇を生んだのである。私がルワンダの一〇〇日で一〇〇万人虐殺を新聞報道で知ったのは五一歳。人間の持つ残虐さと冷酷さと怨念のおどろおどろしさとその遠因の馬鹿馬鹿しさに啞然としたのを覚えている。

しかしその後もボスニア・ヘルツェゴビナの民族浄化等々世界各地で愚かな紛争は後を絶たない。身の周りを見ても理解に苦しむことが多々起きる。人も国も組織もそれぞれが、その時点その時点で、最善の策と思い行動し年月を積み重ねるのだが。

さてこの物語、さしたる目標も無いままに、社会に出たごくごく平凡な男の懸命にもがいた人生。いかなることになりましたやら……。