第一章 自殺しなかった男

現場検証

すでに中国及びヨーロッパで二○一九年の十二月に流行の兆しがあったことを思うと、WHOによる二〇二〇年三月十一日のパンデミック宣言は遅きに失したと言える。中国とアメリカはどこが感染元であるかを巡ってお互いに不毛な罵り合いを演じた。後にアメリカの感染は中国からではなくヨーロッパからの旅行者によってもたらされたものであることが判明した。

日本の状況は日に日に危機感を増した。三月末から四月初めにかけて有名タレントが相次いで亡くなる。三月初めには政府の外出自粛要請、そして四月からは緊急事態宣言発出となった。学校は一斉閉鎖、商店や飲食店には営業自粛要請が出され、PCR検査、テレワークやオンライン授業といった聞きなれない言葉が日常化していった。

緊急事態宣言が出て約ひと月半になる五月中旬、松野は自宅から品川に行こうとして途中東京駅に降り立った。彼は駅の地下街を歩きながら辺りを見回して衝撃を受けた。第一に感じたのは辺りが妙に白いということだった。磨かれた床、あかりの煌々(こうこう)と輝く天井、何もない空間の奥に見え隠れする壁、しかもそれはただの白さではない、金属的な白さだ。見える角度によって光り輝いているが、そのせいかどうか(かえ)って落ち着かない。

東京駅の地下はこんなにだだっ広かったのか。いつもは人が慌ただしく行き交っていて、人の背中にさえぎられて二点透視の先を見ることはなかった。ウィークデーの昼だというのに人っ子ひとりいない。すっかりゴーストタウンになってしまっている。コーヒー一杯飲もうにも開いている店はない。

その無機質な光景を眺めるとまるでスタンリー・キューブリックの映画『二〇〇一年宇宙の旅』の近未来のどこかへ迷い込んでしまった宇宙飛行士みたいな気分になる。  

問題のそのマンションは“リバーサイド・マンション”と称しているだけあって運河の際にそそり立っていた。この辺の地代は高く、不動産業者は上に積めるだけ積む手法で出来るだけ手っ取り早い投資分の原価償却を狙っている。この建物も定石通りのビジネスモデルだった。三十五階建て、総戸数二百六十四戸、プラス一階がエントランス兼応接室と管理室、最上階がスカイラウンジとフィットネスルーム。

彼はこの超高級マンションの入り口に並んだネームプレートの中に最近名前の挙がってきているネット系ベンチャー企業の経営者の名前を発見して少し驚いた。

不動産会社には前もってアポを取ってあった。斉田のいた部屋はまだ借り手がついていなかった。松野は不動産会社の販売員に近い将来結婚するのでマンションを借りたい、この辺りの家賃は自分のような若輩には少々きついが、仕事に行くには至便だし幸い一部親が負担してくれると説明した。

マンションのホームページでも広告している通りリバーサイドの二十二階のベランダからの眺めは素晴らしかった。眼下には天王洲運河が流れ、視線を東京湾の方向に向けると羽田線のモノレールが目に飛び込んでくる。だが非常事態宣言の影響か車や人の行き交いは少なく、ここにもニュー・ノーマルの風景があった。

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