【前回の記事を読む】脳性麻痺とともに育った著者が語る「ハンディがある人の生活」とは


第2章 将来の不安─ハンディのある者の限定された進路─

【立ちはだかる“将来”】

私なりに充実した学生生活を送っていましたが、卒業を迎える高校3年生でさまざまな転機が訪れました。運転免許証もその一つで、高校3年生のとき、自動車学校教習が受けられたらと思い行ってみましたが、車椅子から車への乗り移りが一人でできないと車の免許を取ることができないと言われ、やむなく諦めました。私自身車は好きだったので、車に乗れずに残念でした。もし、車に乗れたら、行動範囲も広くなったのに……。

車に乗って行動範囲が極端に変化するのと同じように、学生から社会人になるといままでの生活が一変します。私は将来の就職を見据え、高校3年生のときに進路担当の先生と相談をして、作業所に職場実習に行きました。

仕事は流れ作業で、数をこなさなければならず、自分には難しいと思いましたが、頑張って作業をこなしました。

小、中学部を卒業し、高等部は自分の能力を活かせそうな、簿記の資格が取得できる商業コースへ進学しました。この頃から、片親である私は、自分の将来への漠然とした不安を覚えるようになりました。私の物心がつく前に両親は離婚して母親だけの状態で、障がいを持ちながら自分が生きていくことを考えたとき、「もし母親に何かあれば、私は自宅で暮らすことはできず施設送りになる」と頭のなかにこんなシナリオがよぎりました。

この頃の私は、自分の将来を悲観的に見て、「このままの延長線上で生きていっても、健常者のように暮らすことはできない。何で私だけがこんな思いをするの?」と思っていました。小さい頃から、皆さんと同じように将来にいろんな夢や希望を描いても、体にハンディがあることで諦めざるを得ない現実が待っています。知能に問題がなかったことで、現実を目の当たりにし、先々のことまで考えて一人で思い悩むという悪循環に陥ってしまいました。

兄のところには、毎日たくさんの友だちが来ていました。その光景が当時の私にはとてもうらやましく、自分と重ね合わせるとその違いに言い知れぬ辛い想いを抱きました。兄と自分とのギャップに苦しみ、ふさぎ込んでいく自分がいました。辛かったけど心配をかけたくない想いもあり、誰にも相談できませんでした。