夕刻その頃の言葉では云えない今では娼婦、頭にチーフをかぶりハイヒールを履いた女性がトットットッと走りだした。私は彼女の楽しげな様子に見とれ不思議なものを見る様な気でいると、その頃は木で作られたリンゴ箱をどこからか持ってきて裏返し、台にしてその上にチョンと乗ったのだ、すると兵隊服を着たGIが寄ってきて彼女を抱き寄せキスをした。二人はとても楽しそうで幸せそうだった。
又々不思議な物を見たと下から見上げていると兵隊さんは声に出して笑い私にチョコレートをくれた。まだ幼い私の手には３倍にも見える大きさの今も憶えている黒い包装紙にくるまれたチョコレートだった。
或る日の夜、私達は何処かの河辺のほとりで空を見て眠った。それ以来、夜空はいつもどんな時も私は心の傍にある。母は云う、その時河辺で二人で死ぬつもりだったと。私が知ったのは結婚してから。止めたのは私だったと。
そして二人は又二人だけに。
誰から教えられたのか和歌山の御坊と云う、横には海が見えるアパート。私は知らないおばさんの部屋に預けられそこには３人の男の子がいて、その日海で獲ってきた小さなサザエの様な貝を蒸して食事代わりに競争して食べた。私には束の間の普通の少し楽しい刻だった。
朝、騒ぎで目覚める。アパートの人のほとんどが目覚め廊下に出ている様子、私は見てしまった、母の荒れ狂う様を。それを見せまいと覆い隠してくれたおばさんの白いエプロンはまるで天使の羽根の様だった。それでも見えてしまった。昔は遊郭だったのか廊下は円周になっていて中心は１階、２階、吹抜けになっている、そのまるい廊下の反対側で起きたことを私は見てしまった。母が包丁を振りかざし父を追っているのだ。父は血にまみれながら逃げ惑い、我を失った母の狂った様、言葉にならない金切り声、今もそれは私の耳に残る。
何日かは知れずそのおばさんの部屋に居たと思える。母とはもちろん会うこともなく。父はさすがに時には顔を見せるがあんなに可愛がってくれたとは露程も感じられず、心は全て今の人のものだった。傷を負った腕を吊った白い布が目に残る。それでもさすがに何が母をそれほど追いつめたのか非を知る父は告訴などはせず。そして二人は又二人だけになった。
