十一時近くになっていた。

智洋は、いったん思考を止めることにした。正午の約束ということは、なるべく十分前までにマンションの玄関に立っていなきゃ……マダムは、わりに大雑把な性格。細かいことを気にするタイプではないのに、どういうわけか、きょうの待ち合わせにだけはシビアだ。五分前には行くからね、そんな念押しまで口にしていた。

マダムは「グランドオープンのパーティだからといって、おしゃれは要らないわよ」と言った。「若いあなたに頑張られると、おばさんは目立たなくなるもの」。

いやいや、マダムは、見事なまでのシャネラー、身長も高いし、十分、存在感がある。本物の金持ち。五十歳か、もう少し上か、中年太りとは無縁の、スリムな体型。智洋は羨ましく思っていた。Mサイズをギリで一応キープしているんだけど……結婚して、ちょっと気が緩んだかな。

それから、「ジーンズでいいわよ」とも。ダメージのやつは、でも合わないかな、普通のにしよう。スカートでもいいけど。いや、それなら、コーデュロイのパンツのほうがいいかも。あのダークブラウンのやつ、生駒さんは焦げ茶と呼んだ。ブラウスは、さりげなくオシャレな感じの、この白いのにしよう。ま、マダムと張りあっても仕方ないんだけどさ……。智洋は下着姿で姿見に映る自分と相談を続けた。

となると、「スニーカーで構わない」と言っていたから、パンプスではなく、買って間もないあれかな。一応、ブランド物だし。コートは、どうしよう。寒いけど、移動はクルマだし、ほとんど外は歩かないだろうし、向こうで脱ぐと邪魔だから、厚手のジャケットでいいか。あっ、立食かも。白いブラウスは汚すのを気にしていたら面倒ね、セーターにしよう。こないだ、衝動的に買った、グリーンの無印でいいわ、コーデュロイのパンツに合う……。

智洋は、ついでに、ブラジャーを白から赤い花柄に替えることにした。合わせて、ショーツもセットのTバッグに穿き替える。これも買ってもらったやつだし、外から見てわかるものではないし。ふふふ、隠れたオシャレ。キャミソールとタイツを身に着けた。姿見で確認した。派手ではなく、といって、地味でもなく。智洋は、鏡の中の自分に、よしっと声を掛けた。

バッグは、そしたら、生駒さんにプレゼントされた、ワインレッドのバリーで。そのくらいは、いいわよね。バリーは、外目だけではブランドものだとわかりにくい。見る人が見たら、わかる、そういう、奥ゆかしいブランド。好きだ……。

ダイニングテーブルの上の、例の写真。どうしようか……、いいわ、とりあえず、このままで。