その後、二週間経った日曜日に電車の中で偶然、美子はあの日の彼に出会ったのである。それは、和歌山駅近くのデパー卜へ買物に行こうとしていた日のことであった。
その偶然に驚いたふたりは、どちらからともなく会釈を交わしたが、彼はふと思い付いたように、それでいて、なにげなく、「日曜日にしかゆっくり買物できないから……」と言った。
美子は一瞬、あの日に彼が描いていた海の絵の美しい色を思い出したが、「そうですか」とだけ言った。その時、美子は咄嗟に、「きっと画材などを求めに行くのであろう」と思い付いたが、そのことは口に出せなかった。
暫くして、彼は、「僕は御坊市に住んでいるのですが、平日は、和歌山まで電車通勤しているのです」と言った。偶然、二度目に出会ったとしても、美子は知らない人と話すのは苦手なので、自分も買物を目的として、電車に乗っているものの、その用件も住んでいる場所も話さなかった。
しかも、その時、美子はあの日、目に止めたキャンバスの海の絵は、あの時点では未完成だと受け取っていたが、「その後、完成しましたか」とも聞くことは出来なかった。
それは、「あの日に描いていたキャンバスの海の色がとても美しかったです。それに、水平線に見えていた船だって……」と思ったままの感想を言えばいいのかと、迷っていたせいでもあった。
彼は、美子の話したくない様子を察したのか、よけいなことは何も話しかけてこなかった。美子も黙ったまま車窓の向こうの風景に見入っていた。そのうち、電車は目的の和歌山駅に着いた。電車を降りて、プラットフォームを歩きながら、美子は「多分、彼は、わたしの後ろを歩いてきているであろう……」と思ったが、振り返ることは出来なかった。
それは不用意に振り向いて、「では……、とも、さよならとも言えない……」という思いに支配されていたからであった。ところが、買い物を済ませての帰りに同じ時間の電車に乗り合わせることになったのである。再びの出会いに美子は驚くと同時に、ふと、「この偶然はなに?」と、思いながら少し離れた位置の座席に着いた。
美子は右側の窓寄りの座席を選んだが、それは、車窓の向こうに刻々と変わりゆく風景、特に広い海原と、その上を翔び交う海鳥を見たいと思っているからであった。