第一章 巣立ち
茂には語学院時代の懐かしいエピソードがあった。
茂が中国語を学んだ時の中国語学習の副読本教材として、一九六五年中国上海で発表され文化大革命のプロパガンダ小説とも言われた現代小説「欧陽海之歌」が使われた。
語学院二年目、恒例の秋の語学院祭でこの小説の一章を題材にした中国語の語劇を中文科で発表した。
茂は劇の主役の欧陽海をやることになった。その日から数日間茂は長い台詞を覚えることに没頭した。
台詞の言い回しや動作の振り付けは一人の中国人教師が指導してくれた。彼は中国京劇や中国文学に深い造詣を備えた中国大人の風貌を漂わせた印象深い恩師だった。
この小説の書かれた背景や小説自体の内容などはクラス全体でもほとんど問題にされなかった。茂たちにとってこの語劇は中国の政治的背景とは関係なく単なる中国語学習の一環に過ぎなかった。
だが当日劇を観ていた人々からは思いもかけない大きな歓声と拍手が上がった。実際、観ていた人はどのように感じたのであろうか、茂は壇上での自分たちの精神の実態とかけ離れた薄っぺらな演技を思い出すたびに気恥ずかしい気持ちに襲われる。
語劇終了後、学院の校庭で反省会のような集いが行われた。
その場に中国共産党機関紙「人民日報」の記者が二人取材を兼ねて入ってきた。一人は日本人でもう一人は中国人だった。彼らも語劇を観ていたものと思え、盛んに茂に文化大革命に関連する質問をしてきたが、茂は返答に窮していた。
当時の茂には文化大革命に対する考えなど持ちようがなく、記者が期待するような話を茂ができるはずがなかった。
茂よりも一回り年上のクラスメートの機転の利いた助け舟により、茂は長い台詞を覚えるのに苦労し、寝床の中で覚えたことなどを話した。
後日、語劇の模様や茂の話を記事にした「人民日報」が二部、学院に送られてきた。
こんなことがあったせいか、インドネシア語科の同窓生の一人は時々「紅衛兵の小森くん」などと陽気に茂に声をかけた。