七、八名の若い男女からなる一団はどの顔も光り輝き、額にはうっすらと汗が滲んでいた。茂はいきなり奇異な紅衛兵の歌と踊りの出迎えを受けた。

一九六七年十一月十四日、そこで目にしたものは、初めて中国に足を踏み入れた茂を、立っている場所さえ忘れさせてしまい、気抜けさせるほどに衝撃的だった。

辺りを静かな田畑に囲まれた、茂の中国との接触の出発点となった広東省深圳は土と草の匂いがしていた。

第一章 巣立ち

一九六五年三月、小森茂は地元新潟の高校を卒業した。茂は六人兄弟姉妹の下から二番目で、十歳の時に病気の父を亡くし母親が女手ひとつで何とかやり繰りしながら、六人の子供を育ててきた。最年長の姉はすでに結婚して家を出ていた。上の兄と二人の姉は働いていたが茂と三歳下の中学三年の弟がまだ残っていた。決して楽でない家計の状況を肌で感じていた茂は、国立大学受験に失敗して進路決定に悩んでいた。

茂の両親と同郷の従兄が十年ほど前に東京世田谷で夫婦二人で始めた食品小売店が順調に伸び、「桜ストアー」という名前の中規模の総合食品販売店に成長していた。茂は色々悩んだ末、この店で住込み働きをしながら中国語の勉強をしようと思いついた。

茂の思いつきのきっかけは単純だった。日本の隣に中国という国があるが、茂はこの国の事をほとんど知らなくて、茂にとっては未知の大国だった。高校三年の時に友人の家に遊びに行きテーブルの上の一冊の本を見た。その本の表紙には見慣れない文字が並んでいた。茂はページをめくってみた。横書きの上に、ところどころ見た事もない簡体漢字が使われており、学校の授業で習う「漢文」とは明らかに違う新鮮さを感じた。

彼のお姉さんが勉強している中国語の教科書だと聞いた。茂の頭の中にはその時の印象が残っており、それがきっかけとなったと言えるかもしれないが、やはり茂が中国語の勉強を決心したのは、ただ己の追い詰められた状況から逃れたい一心の思いつきに過ぎなかった。

茂の母は茂の気持ちを従兄の父親に伝えた。従兄の父親はかねてから自分の息子が若い働き手を探しているのを知っていたらしく、すぐに行動してくれた。

従兄は故郷の実家の羽黒村に住む父親からの連絡で茂の事を聞きつけると、大変喜んで茂を迎えてくれた。