第一章 大化

まもなく御簾の内に大王が着座し、百済、高句麗、新羅の使者が進み出て上表文と貢物の目録を御前に捧げた。入鹿の正面に座した石川麻呂がおもむろに立ち上がり、うてなに置かれた上表文を取り上げ、大王に向き直って深々と一礼した。

ところが封を開いてからなかなか読もうとしない。入鹿が、もったいぶるにもほどがあるだろうと訝って石川麻呂の顔を覗き込んだ。

本物の三韓の使者は難波に上陸したまま留め置かれていた。もともと今日のような儀礼自体も予定になく、中大兄王子と中臣鎌子らが謀って作り上げたものだったのだ。先ほど進み出た三韓の使者たちも、普段は斑鳩寺で伎楽を演じている者たちであった。そしてこの上表文も軽王子が適当に書き上げたもので、端から読み上げる予定などなかった。

衛門府の海犬養勝麻呂が、入鹿の背後の壁の裏に置かれた箱に隠してあった抜身の剣二振りを佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田に授け、「ぬからず、素早く斬れ」と、打ち合わせていたのはまさにこの瞬間、石川麻呂が上表文を取り上げると同時に入鹿を斬ることになっていたのだ。

ところが子麻呂はその巨体に似合わず、明らかに緊張し、恐怖に怯んだ体を動かせなかった。網田も子麻呂が踏み出さないので躊躇した。手はずどおりにことが起こらないので石川麻呂の額から汗が吹き出した。

入鹿は石川麻呂の手が妙に震えているのを見て言った。

「臣、いかがした」

「いや、大王の御前でござれば、いささか……」

「らしくない。早う、お読みなされ」と、吐き捨てるように小声で促した。

促されて石川麻呂が、もう一度書を掲げて読み始めた。

「仁平十二年(新羅暦)、つ、敬みて、倭の国の王に使いを遣わし、方物を献ず……」

明らかに声が震えている。異様な空気に大王の御前ながら入鹿の声も大きくなった。

倉人くらひと! 何ゆえ震えているのか」