第1章 思想の流れ
まず本書を書くに至る、私の思想の流れの解説を述べておく必要があります。最初から少しややこしくなりますが、本書の土台となる大事なところですのでお許しください。
学生の時、キリスト教に興味を持ち、教会に行ったり聖書研究会に参加したりと道を求めてきました。しかし、キリスト教は先進的なヨーロッパ社会で研究され、神学、さらに人文学(宗教学、哲学)として発展してきました。
ものすごい業績と実績がありますが、現代人の感覚にはどうしても理解できないものがありました。なぜなら、最後の根拠に当然ながら(絶対)神が出てきます。聖書のイエス・キリストの言っていることはそれなりに理解できるのですが、パウロは『神の思し召しに従った、までだ』と言っています。これでは神は現在の我々に何を求めているのか、わからないと思いました。それ以上聖書は何も教えてくれないのです。
悩んでいる時にハイデガーの『存在と時間(上、中、下)』(桑木務訳、岩波文庫)に出会いました。ハイデガーはこの本で、人間存在の在り方を深く追求して実存哲学の代表的思想家とたたえられています。
わからないままに必死に食らいつきましたが、言葉遣いが難しいので、何が書いてあるのか少しもわかりませんでした。半ページほど読むだけで、あまりの難しさに頭痛がして、投げださざるを得なかったほどです(その難しさは、ドイツ人のハイデガーが書いたこの本をドイツ語に訳してほしいとドイツ人が言っているほどです)。
仕方がないので、自分の朗読を録音して寝ながら何回も聞きなおしてほとんど暗記するようにしました。なぜ、そこまで魅かれたかと言いますと、生きるとはどういうことか、死、実存、不安、転落、良心、時間性、歴史性、非本来的存在、本来的存在、などが詳しく解説され、結論として、道を求める人間に、人間存在の在り方を正面から取り上げ悟り(救い)へと導くために、その存在変貌の過程を詳しく説いていたからです。
最初は、とてつもなく難解でしたが、ある時から急にわかるようになりました。難しい言葉遣いに慣れていったのでわかるようになったのかもしれません。