「いまの閣下のお言葉は、日本の敗北を前提にしているように思われます。我々もまた同じように判断しております。さて、ではお尋ねに答えましょう。
我々が生存している現実世界では、過去の出来事はすでに定着された必然であって、変更は決して許されません。一方では、さきほどから論じ合っているこの時空間は、まったく別の異世界です。つまり、本体から抜け出たそれぞれの自我意識が、このように出会えるように、ここでは過去の事実を変更することができるのです。
私は満州事変以来、何かに取り憑かれたように戦争にのめり込んだ日本国の有りようが、まことに不自然に感じられます。これが歴史の必然とはとても思えません。そこでボース主席と相談して、歴史を改変することで、本来のあるべき姿を確認してみたいと考えました。
ただ、これは誰にでもできることではありません。それにふさわしい経歴と力量を備えた人物が必要です。そこで、ぜひ閣下の協力をお願いしたのですが、いかがでしょうか?」
汪はこのように要望の内容を打ち明けた。
「というと何だな。過去の歴史を作り変えようというのか」
「そうです」
「そんなことができるのか?」
「はい、この時空間では可能です」
「うーむ、何とも風変わりな思いつきだな。では聞くが、具体的にはどうやるのかね?」
「つまり時間を逆行させ、閣下は過去のある時点に移行します。そこから改めて時の流れが始まるのです」
「それが実現するというのか」
「そうです。これから体験して頂きます」
汪は言い切った。
「では、再出発をする時期はいつになるんだ?」
「我々は、一九三一年の三月を想定しています」
「昭和六年の三月か、例の三月事件のときではないか」
「おっしゃる通りです。満州事変の起きる約半年前に、現職の陸軍大臣である閣下を首相の座につけようと、前代未聞の軍事クーデターが企画されました。しかし、これは結局のところ、閣下が中止を命じられて未遂に終わっています。もしもこのクーデターが成功していたらという前提で、歴史の改変を進めてみたいと思うのです」
汪が力を込めて告げた。