測定不能
彼の容体が悪化したのは、その数日後のことであった。
北風が吹く寒いどんよりと曇った日だった。少し曇った病室の窓からは冬の街が見え、遠くの高速道路には行き交う車が見えた。そこにはいつか訪れる死を意識はしていないであろう、今、生きている人々の生活がある。この狭い個室には死にゆく患者と家族、自分と若い看護師しかいないと思うと、私は異次元の世界にいるような気がした。
死にゆく人の傍らにいる自分を、身体を抜け出した自分の魂が眺めているような不思議な気がした。時間は心拍に併せて、その歩みを遅らせていくように思える。
昨夜来、付きっきりの家族は彼の生命が時間と共に細くなっていく様子を見て、信じられなかった別れが現実味を帯びてきたことを感じとり、妻と娘、息子はそれぞれ声をかけながら男の手を握り一心に足をさすっていた。今、まさに息を引き取ろうとしている男の横には彼の家族、そして私と看護師がいる。
もし、自分が死に向かい合った時に、それが逃れ得ぬ運命と悟った時に、誰が横にいてほしいだろうかと私は自問していた。やはり気持ちを通い合わせた人々に手を握り、目を見つめてもらいたいだろうなと思った。言葉はいらない。お互いの目に焼き付け合うだけでいいと思った。
なぜそんなことを、その日に限って思ったのだろうか。外を吹いている北風の音が呼び起こしたのだろうか。今日までの彼の人生を点検し、振り返るように時間はゆっくり進んでいくかのようだった。部屋には時々、ピッ、ピッという心電図の機械的な、冷えた音が響くだけである。
私は彼の手に触れてみた。手を握った日の温かさはなく、手首では脈はとれない。ベッドの反対側では看護師が血圧を測ろうと試みているが測定できず、マンシェット(血圧計の環状帯)を外した彼女は記録用紙に時刻と「測定不能」という文字を書き入れた。
自分は何をしようとしているのか。ただ見守っているだけ、つまり死の訪れを待っているのだろうか。何もするまいと私は思った。最後の幕は閉まりかけているのだと自分に言い聞かせた。
数週間前、彼はまだ私に笑顔を見せるだけの余裕があった。回診に行くたびに彼は同じことを訴えた。
「夜になると痛みがひどいんですよ」
私もいつも同じように「今、薬を使っていますので、もうすぐよくなりますよ。大丈夫。もう少し我慢してくださいね」と繰り返した。
彼の痛みは癌が脊せき椎ついを侵していることに起因し、少々の薬ではコントロールできず、死の間際には大量のモルヒネの錠剤、座薬、さらには微量の鎮静剤の点滴を用いていた。
彼は私に事あるごとに「先生に任せています」と言った。信頼からの言葉だったのか、すがる思いの言葉だったのか、自分を落ち着かせるための言葉だったのか、外交辞令だったのか、いやすべてが交じり合った言葉だったのだろう。
もはやなす術もない状態で、私は自分の言葉に無力さ、空虚さを感じさせないように話すことに終始した。
この時代、癌を告知して患者と向き合うことは少なかった。病名を告げていないため終末期において患者と家族、医療者の垣根は高くなり、人生の終幕で本音の話ができない状態で時は過ぎ、やがて死を迎えてしまう。そんな時代だった。