散る桜、残る桜も……

外は晴れて暖かく、病院の周りも桜が満開だった。彼女はやわらかい日差しの中、桜のトンネルの中を自宅に帰っていった。彼女の目にこの日の桜はどのように映っていたのだろうか。

そして10日後、母親の震える涙声が電話を通じて伝えたのは、彼女がテレビゲームを10時頃まで楽しみ、もう寝るわと言って横になった直後、「苦しい、息ができない!」と叫び、口から真っ赤な泡立った血が溢れだし、それっきりだったという最期の様子だった。救急車に乗せられた時、すでに脈は触れなかったらしい。

一瞬だったとしても彼女を襲った不安と恐怖はいかばかりのものであっただろうか。それを思うと胸が痛む。彼女は何を思っただろうか。まだまだあったはずの未来を、健康を、そして彼を失い、さらに命までもが彼女の手から滑り落ちていく瞬間に、彼女の心は激しい怒りに震えたのだろうか。薄れる意識の中で、苦しみや焦り、絶望の生活に別れを告げることができて、ほっとする気持ちもあったのだろうか。彼女が死んだ日の夕方から雨が降り出し、散り始めていた桜は一夜でそのほとんどが地上に舞い落ちた。

私はその日の夜、カルテにあった彼女の住所から家を捜し当て、少し離れた場所に(たたず)んだ。路地を入った奥の家に彼女の名字が掲げてあり、ぼんやりと明かりが漏れていた。彼女が最後に生活した空間で私は彼女の冥福(めいふく)を祈った。桜花の中にも満開を待たずに散ってしまうものがある。しかし、いつかは全部が散っていく。桜と彼女の短い人生を重ね合わせながら、私はそっと立ち去った。

3虫の音

死期は序を待たず

もう夏も終わりなのか、夜になるとクリニックにもいろいろな虫の音が響いてくる。自動ドアの開閉と共にこおろぎがクリニックを訪れ、院内に流れる音楽に合わせて鳴いていることもある。

そういえば、あれほどうるさかった蝉の鳴き声はめっきり少なくなり、日中の陽射しはなお強くとも、夕方にはひんやりとする風が吹き抜け、深夜に帰宅する時にはオリオンが東から立ち上がり、天頂にはプレアデス星団がさざめいているようになっていた。季節は徐々に変わりゆき、時はゆっくりと着実に流れ、生命は移ろっていく。

自分自身も納得できる定まった時間を過ごす命もあれば、突然ファイナルカウントダウンが始まり、閉演を告げられる命もある。あたかも外からは見えない砂時計が反転したかのように。まさに徒然草の、

「死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯より潮の満つるが如し」

である。個々の命は大きな流れの中にあるが各々はつながり、生命の揺らぎにより水面はざわめき、乱れる。しかしやがて流れに呑まれ、そして何事もなかったかのように水面は静まっていく。理不尽だと嘆いても、(あらが)ってみても運命は変わらない。