Passengers ――過ぎ去りし人たちへのレクイエム

医療者は脇役

いつの間にか、眠っていた。

終着駅が近いことを告げるアナウンスが流れている。

列車の速度が落ち、レールの連結部を越える音の間隔が次第に延び、まるで生命の終わりを告げる心拍モニター音を聞いているかのような錯覚に陥る。

車窓には夕闇に包まれる風景が広がり、遠くに見慣れた街並みが見えてきた。医者になって幾度となく通ったこの道、東京の往き帰りは新幹線に決めていた。たっぷり読書できることが魅力だった。

やがて乗り換え案内が英語に変わった。「passengers going─」、いつもこの言葉が妙に耳に残る。passengerとは旅客、同乗者、通行人。医療者は患者の人生という列車に乗り込み、やがて下車していく。一方、医療者の前には多くの患者が現れ、やがて去っていく。

患者が主人公である人生という劇の終幕に現れる医療者は脇役であり、一人のpassengerであるが、その交差した時間の中ではいろいろな物語が織り成される。

自己防衛

目が醒めたのは医局のソファーだった。

ソファーは硬くて、目覚めると体のあちこちが痛んで、疲れがとれた気はしない。家と違って眠りは浅く、少しの物音、例えば掃除のおばさんの歩く音、他の医局のドアが閉まる音でも目を覚ましてしまう。

この日は廊下を走る足音だった。

外科医になって14年、主治医の場合はもちろん、主治医でなくとも執刀(しっとう)すれば必ず病院に泊まってきた。泊まっているからといって四六時中ベッドサイドにつきっきりというわけではなく、医局や当直室にいて病棟や主治医からの報告を受けて指示したり、必要があれば病棟に上がって診察する程度である。