賢治が訪ねたのは、既に解散寸前に追い込まれた状態の会社であったが、庶務をやっていた井筒という男が中心となり、五人の元社員が文化社という社名と、既に企画と取材が進行中であった新雑誌『マッセズ』を引き継ぐということになっているという。

「やあ、薬袋君、帰ってきていたんですか?」

写真部にいた旧知の菊池俊吉が愛用のライカを手に立ち上がった。

「ご無沙汰いたしております。私が上海に行ってから間もなく会社が九段に移ったと聞いていましたので、帰国してすぐに九段坂の野々宮ビルを訪ねたのですが、行ってみるとビルは進駐軍に接収されて米軍女性将校の宿舎になっていました」

「そうなんだよ。あそこは焼けビルだから大丈夫だと思ったんだが、アメちゃんも目が高い。日本では珍しい高級アパートだったことに目を付けて、改修して使うから出ていけというんだ。泣く子とマッカーサーには勝てないからね」

「ところで皆さんお元気ですか?」

「引き揚げてきてから田舎に引っ込んだ人もいれば、数人のグループをつくって写真や出版の会社を新しく興した者もいる。ここに居る者も今月一杯だ。最後に残るのは俺たち五人だけになっちまった。今進めている写真誌の企画をこのまま引き継ごうってことさ」

と言って、その雑誌の校正刷りを見せてくれた。

表紙には戦闘帽に国民服という典型的な戦後闇市ファッションの男たちが数十人同じ方向を見上げている群衆写真に、白い歯を見せて明るく微笑み、男性たちと同じ方向を見上げる健康的な女性の顔写真がローアングルのアップで合成されている。その左上には「働く人のグラフ」という文字の下にカタカナで『マッセズ』と筆文字で記され、THEMASSES と英文の誌名も併記されている。定価は八円と表示されている。

「なるほど、マッセズという名は大衆・庶民のための雑誌という意味ですね」

「戦争中は戦意高揚のための宣伝誌を作っていて、デモクラシーのご時勢になったから『労働者のための』というのもどうかと思うがね。食っていくためにそんなことも言っていられないじゃないか。ところで君は今何を?」

「学生時代の友人や上海で知り合ったバンドマンがいますんで、そのマネジメントをしています」

「そうですか、じゃあ米軍キャンプなんかにも出入りしているんだろう。道理で顔の血色もいいし、着ているモノもコザッパリしている訳だ」

菊池は羨望のまなざしで賢治の頭のてっぺんからつま先まで見下ろした。しばらく、闇市の話やこの間までは鬼畜と思っていたアメリカが、物量においても文化面でも日本とは比較にならないほど豊かであったことや、その国と戦った馬鹿馬鹿しさなどの菊池の話を拝聴して帰路に就いた。

菊池らが引き継いだ文化社は、その後小石川の旧東方社の社屋を出て有楽町の焼けビル・電気クラブや、丸ビルの地下などを転々としながら『マッセズ』を第五号まで出した。また、写真単行本『LIVING HIROSHIMA』を発行。

他にも『東宝映画スタア・ポートレート集/あでびと』などを出したが、東方社で職人気質とでもいえるほど丁寧で念入りな仕事に慣れたスタッフは、大衆が飛び付くような本を時期を逃さず発刊するというような仕事には不向きで、制作している間にもインフレはどんどん進んでしまい、出す本出す本が採算割れで赤字となり、この会社もやはり一年あまりで解散の憂き目にあい消滅してしまったのである。

賢治は、小石川の社屋を訪ねて以来、週刊朝日の記事で東方社の後身である文化社のその後の消息と倒産への経緯を読むまでは、仕事の忙しさもあってそのことを知らずに過ごしていた。ましてや、あの山家さんがその会社の経営に関わっていたことも。

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