第三章 芝居に潜む謎
題名の変更と内容のすり替えの謎
これはあくまでも仮定ではあるが、少し私見を述べさせていただきたい。もしかしたら、『兼好法師物見車』(上・中)の完結編となる本来の『兼好法師物見車』(下)は完成間近の状態にあったか、すでに出来上がっていた。ところが、『兼好法師物見車』(下)を本来上演するタイミングで、急遽全く別の作品として書き上げていた『碁盤太平記』を上演せざるをえない事情が生じた。
ところが、『碁盤太平記』には依然上演が規制されていた赤穂浪士を彷彿させる内容が組み込まれていたことから、すでに上演されていた『兼好法師物見車』を隠れ蓑に跡追として『碁盤太平記』を割り込ませたのではないかと考える。と言うのも、『兼好法師物見車』(上・中)と『碁盤太平記』の内容には連続性はなく、全く別ものである。
『碁盤太平記』単体では、公儀からお咎めがあった場合、全く申し開きをする余地が無い。そこで、主役級の人物を両作品に跨がって登場させることで作品の連続性を担保し、敢えて先行作である『兼好法師物見車』の跡追いとすることで、公儀に対しての『碁盤太平記』は元禄赤穂事件とは全く関係のない太平記を主体とした作品としたかったのではないだろうか。
じつは、同名のまま両作品に跨がって登場していながら、設定そのものがすり替ってしまった人物がいる。それが塩冶判官、高師直それに八幡六郎である。『兼好法師物見車』(上・中)に登場する塩冶判官と高師直それに八幡六郎は、勿論太平記にも登場している。ところが、完結篇の『碁盤太平記』においては、本文の中では一切説明がないまま、名前はそのままに塩冶判官は浅野内匠頭に、高師直は吉良上野介にすり替りわっている。
八幡六郎に至っては名前自体を大星由良之介に切り替えたが、さすがにこの設定には無理があったのだろうか本文の冒頭で、「……是は承り及ぶ塩冶殿浪人。はじめの名は八幡六郎、今は大星由良之介殿申御方……」と名前を変更したことを宣言している。ところが、『兼好法師物見車』での八幡六郎は青年であったはずなのに『碁盤太平記』では大星由良之介となる八幡六郎は大星力弥の父親となり四十歳前後となっている。
このように、『碁盤太平記』で初めて大石内蔵助をモデルとする大星由良之介という名前が登場することになるのだが、この手法はどう考えても強引で無茶苦茶としか言いようがなく、そこまでして『碁盤太平記』として上演する必要があったのかについては依然謎が残るが、おそらくそうさせる何か特別な動機がそこに存在していたことだけは確かである。
その動機とは一体何であったのだろうか。さらには『兼好法師物見車』から『碁盤太平記』に題名を変更したことへの疑問についても同様に気になるところであり、この疑問をできるだけ詰めてみたい。
今回提唱した疑問については、近松門左衛門による特殊な手法であることから、たとえそれを立証する史料が存在していないとはいえ無視することはできず、背景やその手法による他の近松作品への影響などを考慮して、何かしらの論証がなされてしかるべき事案であるにもかかわらず、これまで全く解明されずに放置されてきた。また、興行側の近松や座本の竹田出雲が、身の危険を冒して芝居の内容をすり替えてまで『碁盤太平記』を上演したことについても、きっとそうさせる特別な理由が存在していたはずなのだが、過去にこれといった納得出来る論証がされた形跡がない。
そこで考えられるのが、近松はある特定の人物に赤穂浪士を取り入れた作品を上演した事実を示したかったのではないかと想定した。それがいったい誰であったかは第五章で明らかにしたい。