12 駒太 20xx/xx/xx xx:xx
なめ子ちゃん、あたし困ってんのよ~。若いあなたに私の悩みを聞いて欲しいの。男性経験豊富なようだから。いいかな?
いまどきの若い娘の考えていることがわからなくって。
唐突に話し始めるのもなんだから、困ってることをわかりやすくするために私の人生の背景を話すわね。
私の両親はそれはそれはもう仲が悪くて、それでも別れずに喧嘩ばかり。私は結婚しても喧嘩ばかりの一生なんていやだなと思い、女一人で頑張れば生活できる仕事を考えたとき、少しは容貌にも自信があったので芸者になろうとしたの。
それで芸者のことや花街のことを調べて、花街の芸者置屋を一人で訪ねて行ったわ。
玄関で女中さんに「芸者になりたい」と告げ、置屋で履歴書がいるかどうかわからなかったけど履歴書を渡すと、女中さんは奥に行って戻って来て、座敷に通されたの。
しばらく待っていると「あらあら、この娘?」と置屋のお母さんが入って来たから両手をついて頭を下げ挨拶して、
頭を上げてお母さんと目を合わせると「へぇ~、ご両親がいるの。商業高校に通っているの? 耐えられるかしら。恋も結婚も諦めるのよ」と矢継ぎ早に(ヤメておいたほうがいい)と思わせることを言い始めた。
私が決意のほどを話すと「来年の3月に卒業よね。卒業してからいらっしゃい。気が変わったら来なくていいよ。連絡しなくてもいいからね」と言われた。「よろしくお願いします」と頭を下げ、その日は帰った。
卒業していよいよその日になると、昔、板前と仲居で奉公を経験してきた両親は「がんばれよ」とだけ言って送り出してくれた。同じ都内だし、感傷的な別れでもなかった。前日、置屋のお母さんに電話を入れると「下着や日用品を持って夕方いらっしゃい」とのことだったので、少し銀座でぶらぶらして最後の自由を楽しんでから置屋に向かった。
置屋に着くと女中さんが出てきて座敷に通された。お母さんが「まあまあ、よく決心したわね」と出てきた。
両手をついて丁寧に深々と頭を下げ「よろしくお願いします」と顔を上げると、お母さんが両手をポンポン叩いて振り返り、「みんな出ていらっしゃい。新しい娘が来たわよ」と叫んだ。
すると奥から長襦袢姿のお姐さんたちが出てきた。お座敷がかかる前に薄く化粧していたようだ。
後で聞いた話だが、30半ばで少しぽっちゃりの駒芳姐さんは戦争孤児、気っ風のよさそうな駒春姐さんは施設育ちだが男衆が「いよっ、いい女」と声をかけたくなるような姉御肌だ。
駒吉姐さんは捨て子で里親に出され、里親のいじめでここに逃げてきたそうで、なんとなく引っ込み思案、芸者が務まるのかしらとそのときは思ったけど、座敷に出ると底知れぬ色気があり、人気があると聞いた。
私も後年座敷を一緒にさせていただいたとき(なるほど!)とその色気に嫉妬したものだ。
駒菊姐さんは産まれてすぐに置屋の玄関に捨て子されていて
「この娘を育てる自信がありません。どうか後生です、この娘が幸せな人生を送れるように育ててください。不甲斐ない母親より」
と添え手紙があり、戦後の混乱期ということもあってお母さんが自分で育てたそうだ。
子どものころから花街で可愛がられて育ち、性格も明るく私と年も近いこともあって話が合ったし、一番仲がよかった。
お母さんは芸者には芸も必要だが、客席の話題についていけるように教養も必要だという主義で、主要新聞はすべて購読し、目を通していた。
お姐さんたちにも新聞を読むように言っていた。またお母さんは読書家でとくに川端康成が好きで、『雪国』とか『伊豆の踊子』とか読んでいた。だから『雪国』の「駒子」のせいかここのお姐さんたちの芸名には「駒」が付いていた。