【前回の記事を読む】犯人未詳、被害者の情報収集も難航…捜査一課に飛び込んできた殺人事件の調査
第一章 屈折した凶行
ここで崎山が吉岡を睨みつけ、顔を赤らめながら吠えた。
「検視官、あなたは検視だけしていればいいんです。事件の見立ては私たちの領分です。要らん先入観を課長に与えないでください!」
崎山は課長と同じ警務畑の人間で50歳になる。刑事の経験は警部時代に刑事総務課勤務があるだけで、現場の経験は皆無である。何故そんな奴が広域管理官に来たのかは人事の謎であったが、将来所属長になる年次であることから、箔をつけるために上を丸め込んで人事を動かしたというのが課員の共通の認識だった。1メートル80を超える長身でがりがりに痩せている。キンキンする声で課員に叱責するその姿を見て「カマキリみたいや」と言った捜査員の一言で、今や一課全員がカマキリというあだ名で統一している。現場の経験がなく具体的な指示は苦手であるが、頭はよく、精神論、一般論で管理官を乗り切っている。ある意味、努力家であろう。ただ階級は吉岡と同じ警視であり、吉岡の方が大先輩である。吉岡は普段はおとなしく、一見優男ではあるが、上司であろうと関係なく自分の意見を言ってきた強者であった。「カマキリごときが」と一瞬イラッとして言い返した。
「は~? 俺は何も事件の見立てなんかしとらんばい。ご遺体から推認できることを課長に伝えただけやろうが。当然怨恨、通り魔、変質者、強盗なんかの線でいくのが捜査だってくらいは分かっとう。ただ検視も同じ捜査やろうが?」
吉岡のすごみがある言葉にカマキリが口ごもった。崎山みたいなタイプは逆らわれることに慣れていない。総警務関係の所属には、あからさまに意見を返す人間はほとんどいないのだ。
カマキリが口ごもりながら何か言い掛けた時、横から花田が、
「意見、見立て何でも結構です。それが出ないと事件は解決しません。それに先入観などは当然持ちませんからご安心を。さぁ感情的になってる場合じゃないでしょう、それにマスコミの人が被害者じゃ、取材はこれまで以上に圧が掛かりますよ。警察署に行って捜査本部立ち上げです」
吉岡もバカに腹を立てた自分に腹が立ち、
「そうですね、さぁ霊安室に行って自分の仕事しよう」
と、おどけた声でその場から離れていった。
検案のための部屋(署の霊安室)はエアコンで冷え切っていた。吉岡は日ごろから腐敗以外の遺体は、できるだけ早く直腸温度を測るように指示していた。死後何時間であるのか、何日ごろかは検視をしている中で一番難しい判断点である。硬直、体温、目の混濁、腐敗等々判断材料は専門書に記載されている。しかし、遺体の置かれていた場所、状態など様々な環境からなかなか一筋縄ではいかないものだ。
以前、ある大学の法医学者から写真を2枚見せられたことがあった。