4)近代看護が始まってからの看護学の発展

ナイチンゲールは療養環境のみならず病院管理、看護教育の改革を行った。それにより看護師は教育を受けた者が実施する、という専門的な職業へと発展していった。

その後、看護教育の高等化が進み、アメリカのコロンビア大学ティチャーズカレッジには1908年に看護教育学科が設立された。第二次世界大戦(1939~1945)前の看護業務や看護教育の向上には、専門家の全国諸団体(NLNE:全国看護教育連盟、NOPHN:全国公衆衛生看護会)が関わっており、以下のことが成果して表された(エスター・ルシル・ブラウン(小林訳)、1994)。

多数の程度の低い看護婦養成所を閉鎖したこと、総合大学またはカレッジ級の学校を開設したこと、多くの病院をして看護学生の使用をやめて、相当数の有資格看護婦を採用させたこと、病院付設の養成所における臨床実習開始前の教育期間を延長し、かつその改善を図ること、また臨床指導内容の充実と多様化を奨励したこと

戦時中の看護については「量的面の供給に関しては非常に増大した」との記述があったが、これは即席の養成であって質の低下につながった。

戦後は、「量的にも、質的にも、需要に応ずることのできない看護教育制度自体の中に、根本的のみならず、常態化しているような欠陥がひそんでいるに違いない」との考えに至った。

このようななか、全国看護会議(NNC)はE.L.ブラウンに調査の主査となるように依頼し、『ブラウンレポート=これからの看護』が報告された。

本報告のなかでは、看護の大学教育の必要性、看護研究の必要性、専門職であることの明確化が述べられた。

以下に本報告内の力強い一文を紹介する。

現時点において、必要なことは、われわれの態度を決定的に転換することである。看護職にある者は、個人としても集団としても、あらゆる方法をつかって、自己の職業およびその機能の重要さについて、前向きの姿勢をとらなければならない。医者および法律職にある人々は、段々と高度の資格を必要とするようになり、その存在も社会的に必要であり、従ってその行為も不可欠であると自ら認めているが、看護職もこの点においては彼らと同じような態度をとらなければいけない。もし社会もその福祉の向上をめざすなら、これもまた、看護の重要さについて、認識を改めなければいけない。

1950年以降は、看護理論家が誕生し「看護とは何か」を学問的に説明しようとした。看護理論による看護の知識体系が示され、看護理論と看護実践を結びつける研究が盛んになり、看護学の発展につながった。

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