新たな挑戦の幕開け
ひろしま食品の工場を視察したエンゼルスのQC(品質管理担当者)は、一通り工場を視察した後、大きな溜息を吐いて呟いた。
「相当の手直しをしなければ、この工場での製造は難しいですね」
東京での工場見学を終え、彼我の違いを痛感していた恭平は、それなりの覚悟はしていたが、はっきり「難しい」と言われた衝撃は大きく、見当もつかぬ改修コストを案じながらも強弁した。
「如何なるご指摘にも従いますので、改善点をご指導ください」
指摘された点を全てクリアした工場の改修案を見積もると、恭平の思惑を遥かに超え、売上の二カ月分近くに匹敵する額だった。急造した根拠の薄い五年間の収支計画に改修見積書を携え、恭平は大泉社長と二人だけの会談に臨んだ。
大泉社長は二通の書類を一瞥して放り投げ、腕組みして一言で結論付けた。
「止めとけ」
「いえ、やらせてください! もし、我々が取り組まなければ、他社に市場を奪われ、必ず後悔します! エンゼルスの店舗が増え売上が増えて、お客を奪われてホゾを噛むのは目に見えています」
「収支計画書に試算したように、店舗が五十を超える三年以内には、現在のひろしま食品の給食は全て、万鶴に移管しますから万鶴にも大きなメリットがあるはずです!」
「そんな計画書は、デタラメの絵空事だ。止めとけ」
「デタラメではありません! 絶対に迷惑は掛けませんから、やらせてください!」
二時間以上にも及ぶ堂々巡りの末、条件付きで大泉社長が折れた。
「専務は今まで通り万鶴の仕事を続け、エンゼルスとの新規ビジネスは弟に任せるなら、やっても良い。念のために言っとくが、絶対に失敗するぞ」
「ありがとうございます! 必ず成功させてみせます!」
大見得を切ったものの、ひろしま食品には改修資金も与信能力もなく、父親任せにしていた資金調達を自ら実行するため、カープ信用金庫に電話をして面談のアポを取った。支店長室に通された恭平は、どのように切り出すべきか思案しながら落ち着きを失いかけていたが、村田支店長の後ろから入ってきた行員の顔を見て驚くと同時に、一気に普段の自分を取り戻した。
「本川先輩、お久し振りです」
にこやかに挨拶する融資係長は、鯉城高校サッカー部で一年後輩の土橋健太郎だった。一頻り高校時代の思い出話に花を咲かせ、緊張感もほぐれた頃に恭平は、ひろしま食品と万鶴の関係と現在の恭平の立場、コンビニエンス・ストアの将来性とエンゼルスの先進性に熱弁を奮い、おもむろに収支計画書と見積書を提示した。
恭平の話の随所で土橋融資係長は、「先輩は昔から熱い人で……」などと合いの手を入れ、懸命に支店長との間を取り持っていた。
「本川専務のエンゼルスに懸ける熱い思いは、充分に理解いたしました。私共の土橋もお世話になっていたようですので、できる限りのお手伝いをさせていただきます」
ほとんど一方的に恭平が喋り、相槌を打つだけだった村田支店長の言葉を聴いて、不覚にも恭平は目頭を熱くした。
そして、金利は少し高くなるが信用保証協会を使うことで、工場の改修資金五千万円の融資は約束された。十日間に三度目の上京のため、恭平は新幹線に乗った。前途に光明を得た恭平のバッグには工場の改修図面の他に、藤沢周平の長編「一茶」が入っていた。