【前回の記事を読む】「お父さんすごーい!」赴任先での新生活、家族を悩ませた「コロンビアの食糧事情」解決への試行錯誤
子どもたちのピンチ
アメリカン・スクールに編入した兄弟にはいろいろな問題が起こりました。その中で、彼らのピンチとなったことがありました。アメリカン・スクールの新年度は九月から始まります。そのため兄弟は新年度から編入となり、兄は四年生、弟は一年生として迎えられました。
この学校にはすでに五年生と四年生と三年生には先に述べたメデジン在住の家族の子どもたちが通っていました。そのため兄の周りには同学年を含めて日本語で会話できる環境が多少はあったのですが、新一年生となった弟には、まったく日本語が使える環境がありませんでした。
子どもたちのピンチ・その一
そのような状況のもと、入学から一ヵ月ほど過ぎた頃、私が業務のため事務所を朝から半日ほど留守にして昼前に事務所に帰ったところ、スタッフから、二時間ほど前に学校から、弟の具合が悪いようなので迎えに来てほしい、との連絡があったため、運転手を学校に迎えに行かせました、と報告されました。
思わず私は「うわー!大変だ!」と大慌てでした。当時はまだ携帯電話は登場しておらず、また自宅にも電話は未設置でした。さまざまな事情から、もし学校から何かの連絡が必要となった場合には、私の勤務先を連絡先として登録していました。
そして編入時に学校からの要請というか注意事項として、朝スクールバスに乗ってから放課後バスを降りるまでは、子どもたちの安全のため、急病でも薬などは飲ませないのが建前であるし、たとえ日本人であっても肉親以外の者に渡すことはできない。必ず肉親が迎えに来るように、と言われていたのです。
そのため、今回はたとえ会社の車が迎えに行っても、息子を引き取るどころか学校内に入ることさえできません。大急ぎで息子たちの通う学校へ向かったところ、メインゲートの外で会社の車が停まっていたので会社に戻るように伝え、私は身分証明書を警備員に提示して小学校の校舎へと向かいました。
そして待合室に連れていかれたのですが、なんとそこにあるのは普通のソファーで、息子はそこにただ放置されているように横たわり、脱いだ小さな靴もそのままになっていました。
少なくとも休憩室のベッドぐらいには寝かせてもらっているだろうと思っていた私は衝撃を受け、大急ぎで駆け寄り抱き上げたのですが、普段は小さい体の割には活発な男の子なのに、そのときは私の問いかけにも何も言わずにぐったりと寄りかかってきたので、思わず胸が熱くなるとともに、言葉も通じない場所へ連れてきてよかったのだろうかと、強い自責の念に駆られました。
しかし、その後、現地に馴染むわが家の子どもたちの対応能力は驚くべきものがありました。三ヵ月もすると、弟は同じマンションに住んでいた同級生とどんどん会話をしながら遊ぶようになり、半年後には友達に限らず、地元の人たちとも英語はもちろんコロンビアの主言語であるスペイン語で自由に会話ができるようになっていました。
兄のほうは周囲に日本人の友人がいたため、弟ほど早くはありませんでしたが、それでも一年足らずで英語もスペイン語もこなすようになりました。
学業の方は入学してから約二ヵ月後に担任の先生とお会いできたので、二人の様子をお尋ねしたところ、二人も英語では特別学級に入っていて毎日勉強しているが、真面目だけど楽しそうに過ごしているし、問題はないとのことで、心底ほっとしました。そしてハロウィーンなど、学校の祭典の際には、本当によく面倒を見ていただきました。