第二章 仮説社会で生きる欧米人
予定説が新資本主義を生み出した
社会科学者マックス・ウェーバーによると、キリスト教の予定説での人々の生き方は、「目的合理性」に基づく生き方になると説いています。目的合理性を目指す生き方とは、手段を整合化し無駄のない正しい方向を目指す生き方を指します。無駄のない正しい生き方を具体的に説明しますと、生産に励む人達の労働を神聖な行為と位置づけ、同じように経営者が投資して工場を建て生産に励む行為も神聖な経済行為と位置づけています。
普通に考えれば労働は生活の糧として、また経営者の利潤は儲ける為となります。だがキリスト教では、二つを神聖な経済行為と位置付け、労働や経営が天国行きのパスポートになると諭しています。生活の糧の労働や儲ける利潤が、神聖な行為であり、天国行きのパスポートとなるとすれば、人々は働くことに意義を見出し、予定説は人々にエトス(行動様式)の変換を促すものです。
マックス・ウェーバーは、予定説に基づき、無駄を省き倫理感のある目的合理性の精神が、新しい資本主義を生んだ原動力となっていると、主張しています。現世を仮の世、来世を本当の社会とは、日本人の私達にはしっくりせず馴染みのない生き方になります。
それはそうでしよう、私達日本人は生きているこの世を楽しく暮らしたいと願っています。欧米人もこの考えには基本的には違いがないと思います。
だが、神が予定説で人を天国に入れるか否かを予め決めているとなると、人々の心はいてもたってもおれない焦燥感に駆られ、目的合理性を目指す生き方を選択するものです。さらにキリスト教は信仰に生きる人々の精神は「自由」を基本にしていると主張しています。神は創造主であり、絶対者です。
普通に考えると、絶対者の下で生きる人々は、因果応報等を考えて萎縮するものです。だが、キリスト教は神への信仰は、神への恐れからでなく、自由な意思が前提条件となっていると、しています。ここら辺の論理も、日本人の私達には分かり難い面があります。
そう言えば、一七七六年のアメリカ独立宣言は、自由、平等、幸福となっており、一七八九年に起こったフランス革命の合い言葉も自由、平等、博愛となっています。グローバルな世界では、自由、平等、幸福、民主主義等々の理念が当たり前のようになっており、日本もこれらの理念を当然のように受け入れています。
だが、普遍性がある筈の理念一つをとっても世界では解釈の違いがあります。例えば最近の米中貿易摩擦で説明しますと、中国はアメリカに対し自由貿易を主張しています。だが、国内では国民の自由な行動を制限し、国民を管理下におく政治システムを採用しています。
日本では、国民の主権を守るため司法、立法、行政の三権分立制度を確立しています。ところが、行政のトップに不正、過ちがあれば、役人は国民主権の精神を反故にし、互いを忖度し合って三権分立の趣旨を逸脱した行為を度々行っています。