第2章 人類の持つ宇宙観

我々人類は、宇宙の無限なることや不思議に驚嘆し、地球の自然に感動し、我々を含む動植物の精巧さや魅力に接する時、これらがどのようにして生じたのか、そしてどのように動いているのか、という問いを持つことになります。

この問いに対する答えを「宇宙観」と呼ぶことにしますと、今よく知られている宇宙観は二つあります。その一つは「神という宇宙観」であり、後の一つは釈迦が発見した「神観念のない宇宙観」ですが、これらの宇宙観はどちらも我々の知性・知的要求を満足させるに十分なものとは言えません。然るに、前者は神の宗教および哲学にも採り入れられ、後者は仏教に採り入れられています。

ところで、筆者はもう一つの宇宙観があると考えています。それは「現象の原理による宇宙観」です。「現象の原理」とは、因果律よりも広い概念で、起こっている全ての現象は起こるべくして起こっていて、そうでないなら起こりようがないのですから、起こるべき解を帯同していることは自明であるというものです。そうしますと、この原理に基づく解を得ることができれば、我々は「神の宇宙観」や「釈迦の宇宙観」に勝る宇宙観を持つことができることになります。本章では、これらの宇宙観についてお話ししています。

1 神という宇宙観

1.神に思い及ぶ

我々人類はどのようにして神観念を持つに至ったのでしようか? 大自然に対した時や「わからないこと」が無限にあることに気づいた時に、その背後にそれらの創造主というような超越者の存在を感得した、というのが当たらずしも遠からずと言えそうです。

神観念などという大きな命題については、複雑よりもこのような単純な記述で済ます方がかえって相応しいのではないかと思われますが、折角のことですから、我々の無知や卑小さについて、自然神学的神の存在証明や哲学者を選んで彼らがどのように言っているのかを復習してみました。