第1章 本書の思考と思想に関わる事項

本章は、物事を考え心を遊ばせる上で参考となりそうな事項、および「本書の思想形成に至る経路」から成っています。

前者の参考事項は、思いつくままに雑駁に並べてあるものですから、その目的に対して直接的には必ずしも必要でないことも含まれており、その逆に必要なものは網羅できてはおらずその内の一部にすぎないものであることをお断りしておきます。

一方、後者は「本書の思想」の論旨を明確にするため箇条書きにして記載してあるものです。

思考に関わる参考事項

参考事項01 思考に関わる大原則

ものごとを考えるためには、あるいは、有効な系や説を構築するためには、絶対に守らなくてはならない大原則があります。それは、存否や真偽不明のものは、そのまま受け取り受け容れておかなければならないということです。このことは、存否や真偽不明のものを前提に採用して構築される系や説は、その有効性を検討するに値するものではなく、全てその入り口で無効扱いして然るべきことを意味します。

従って、これら無効の系や説である虚構をなお真理・真実と主張するに及べば、それは妄想ということになります。これは、あらためて言う迄もなく、明々白々なこととして万人に当然に認められるものと考えられます。

然るに、遺憾ながら、この大原則に悖る系や説が我が人間界に受け容れられ存在している事実があります。宗教という系や多くの哲学説がこの大原則に抵触しています。

参考事項02 子供のようにあれ

人は、素直であり、際限のない疑問を持つ子供のようにあれ。素直を失い、疑問を中途で放棄し、安易な妥協に安定を見出すことを成熟した精神を持つに至ったと錯覚するような愚かな大人にはなるべからず。

参考事項03 全知全能と無知無能

我々人類は、全知全能に比べれば、無知無能の近くに位置しています。我々はこの現状から全知全能の方向へ進むことはできるのかもしれませんが、全知全能は無限の彼方に位置しています。

この実状にもかかわらず、我々は無知であることを正しく認識できていません。

ところで、全知全能は一見わかりやすくてありそうな概念ですが成立しません。又、ゲーデル(クルト・ゲーデルKurtGödel)とチャイティン(グレゴリー・チャイティンGregory J.Chaitin)の不完全性定理により、完全な系は存在しないことは証明されています。

従って、「全知全能」は「全知全能に近い概念」そして「完全な系」は「完全に近い系」というのが成立しうる上限になります。

参考事項04 裂帛の気風

禅には、「師に会わば師を殺し、仏に会わば仏を殺して、自己の究明に務めよ」という裂帛の気風があります。

さらに視野を拡げて神を加えれば、「師に会わば師を殺し、仏に会わば仏を殺し、神に会わば神を殺して、自己の究明に務めよ」ということになるのでしょうか。このことは、当然殺すということではなく、「師にも仏にも神にも頼らず、すなわち、師の教え、仏の説法、神の存在やその言葉にも頼らず、自身で納得の行く迄考えて自己を確立せよ」ということです。

論語でいう「温故知新(故きを温ねて新しきを知る)」、すなわち「既成のことをそのまま鵜呑みにするのではなく、もう一度自身で一から見直しその上で改良すべき点があれば改良し新しい知識とせよ」ということを意味しています。この思想は何も禅などを持ち出す迄もなく、ごく当たり前のことにすぎませんが、物事を考える際に厳に心するべきことになります。

「…神の存在でさえ、勇気をもって疑問を持ちなさい。神が存在するならば愚かな恐怖心への服従よりも、根拠を立てることへの敬意に賛同されるにちがいありません」(トーマス・ジェファーソンThomas Jefferson、偉人たちの無神論的50の格言より、らばQバラエティニュースサイト)