【前回の記事を読む】元NHKプロデューサーが「台風の目に飛び込む」驚愕の企画

8月23日午前7時15分。キャシーの目

いよいよ台風地獄に突入だ。巨大なWB50型機がスッーと落下したと感じたとたんに体が飛び上がった。息つくひまもなく、今度は床にドスーンと尻がぶつかる。機体が乱気流のなかで不気味な音をたてる。

胸がむかつくが、もう吐くものさえ出てこない。いまだから言えるが、そうなるともう取材どころではない。自分をコントロールするのが精一杯だ。

急に上下左右に揺れていた動きがとまった。頭を下げてみると大きな観測窓の下に穏やかな海面が見える。見上げると青い空の向こうから後光が差し込み、遠くに円の一部を切り取ったような雲の輪があった。

キャシーの目だ。

8月23日午前7時15分。離陸からちょうど3時間が過ぎていた。

機体の後部では観測ゾンデ係の兵隊さんがゾンデを落とす作業に追われていた。6000mの高空から落下したゾンデは着々と気圧、速度など台風の情報を横田の司令部に送っている。

その情報を日本の気象庁は貰っていたのだ。科学ドキュメンタリーを目指してこの番組以降に「科学時代」は徐々にスタジオを使用するシーンを減らして、企画も素材も野外の広範な撮影ができるフィルム部分を拡大していった。

その意味で、この番組は日本の科学ドキュメンタリー創出のきっかけと言えよう。

本格的なNHKの科学ドキュメンタリー番組は、それから2年後に若輩の私が太田CP(チーフ・プロデューサー 番組班長役)の指令で企画し、ディレクターを務めた「あすをひらく」のオーディション番組「救難機出動」ということになろう。

私自身は台風番組の体験を通してテレビ・ドキュメンタリーの威力は①「初めて見るドラマティックな映像情報」を②「臨場感を持って」視聴者に伝えることで最大限に発揮されることを実感した。

それ以降の私はこの二つの視点で企画のリサーチをするようになった。この台風番組はもう一つの歴史的な会議を生み出した。

それはNHKのリーダー役の報道局が、こともあろうにライバルの教育局にお願いをしてきたのだ。

それはまず、社会部が記者の台風観測機への同乗を米空軍と交渉して欲しいという事で、私の助力でそれが巧くいくと、次に我々と報道局社会部の遊軍記者が毎月1回ていど連絡会を開いて情報交換をすることになった。

いずれにしても、この番組がきっかけになってライバルの報道局と築いた友好的な関係が長く続き、我々科学グループと私のPD人生にも様々な幸運をもたらすことになった。