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民主化なき発展?

われわれは民主化とか民主主義とかよく使うが、そもそも「民主」とは何であろうか。

『日本国語大辞典』は「1:人民の支配者。君主 2:一国の主権が人民にあること。また、その政治や制度。」と定義している。

民主の語誌の項には

「(一)漢籍では、1のように「民ノ主」の意味で、2のような「デモクラシー」の意味で用いたのは西周が初めてであった。しかし、漢籍での意味と正反対の意味での使用にとまどいがあり、これが訳語「民主」の定着を阻んだと思われる。

(二)元来「デモクラシー」と「リパブリック」とは次元の違う概念であるが、明治二〇年代、政治思想としての「デモクラシー」を、北村透谷は「共和制」、若松賤子は「共和主義」と訳すなど、概念の混乱が見られ、「民主」が「デモクラシー」の訳語として定着したのは、明治三〇年代に入ってからであると思われる」

とある。

この定義によると一番目に人民の支配者と君主の意があげられており、二番目に主権が人民にあることや主権在民の政治や制度の意があげられている。

現在われわれは二番目の意味で用いているが、もともと中国では一番目の意味で用いられていたことが分かる。また発展については『広辞苑』の二番目の定義として「さかえゆくこと」とあり、「経済の発展」という用例が出ている。そこで「民主化なき発展」は主権在民ではない政治や制度のもとにおける経済などの発展ということになるだろう。

主権在民ではなかった時代の経済発展というと、私がとっさに思いだすのは江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山(一七五一〜一八二二)の業績である。鷹山は上杉重定の養子として藩主になり、破産状態にあった同藩の財政改革を実施した。倹約を率先垂範(すいはん)し、新田開発をし、養蚕を奨励し、米沢織などの特産品を開発し、農民を豊かにすることによって藩の財政再建に成功した。

このような封建領主による財政改革や善政について述べたくて「民主化なき発展?」というような表題を掲げたわけではない。

アメリカ・ファーストを掲げるトランプ政権が誕生して米国の国際的影響力に陰りが見えつつある一方で、民主化なき発展とでもいうべき「国民の権利よりも国家の安定・発展」を優先するロシアや中国の統治スタイルがあちこちで影響力を増しつつある現状に注目してのことである。