事業は人だを実感する
病院を開院するといっても、患者さんが来ない段階で常勤医3名を決め、40床のベッドに対し必要な看護師数を決め、配置し給料も払い続けねばならない。外来看護師も同様である。検査技師も、レントゲン技師も全て必要人数を配置して、初めて保健所は開院OKを出してくれる。大学時代から私の共同研究者であった青井克行先生と香川大の髙原二郎教授が心配してくれ医者はそろった。
同じころ、中央病院の臨床工学士廣川耕三君、看護師の久典子君の両名が陰ながらいろいろと私の仕事を助けてくれた。レ線の清水孝彦君とは福山で2回会って何とか口説き落とした。レ線の大山口玲子君、検査技師の近広典枝君、少し遅れて現事務局長の古田謙太君も開院に向けて頑張ってくれた。
開院許可をもらうまでのもろもろの手続きは、西条中央病院で外来の合間に私一人で電話で県庁と渡り合い作業を進め、木曜日の午後出かけては面談することで大方の事は終えていた。
病院創りの最後の段階では、事務量も増え、それを皆が助けてくれたわけである。私は一人開業からのスタートではなく、当初から病院体制でのスタートであったので予想外の事態にも直面したが全て正面突破で切り開いた。事を起こし、進めるにあたって全て人の力である。
親身になって助けてくれる人がいれば、その事業は大方上手くいくし、その逆もまた真である。現在職員はピンからキリまでいるが、皆それぞれの立場で頑張ってくれている。一人は一人、二人は三人、三人は五人の力を発揮するのが人の組織であることも知った。ピンばかりではダメ、キリばかりでも駄目なのが職場である。