村上侑紀ヒストリー 〜生まれてからダイジェスト

村上侑紀ヒストリー

一九八三年一〇月二六日、富山県魚津市にて僕は産声を上げた。実際に「オギャー」と産声を上げたかどうかは覚えていないし読者のあなたもそうだろう。写真が残ってはいたが生まれたばかりの赤ちゃんの顔は皆同じに見えるのであえて載せることはしない(笑)

幼い頃の記憶というのは断片的に覚えているだけで、どこか抽象的に、恐らくこうだった、こうであってほしいという現在とのつじつまを合わせるように書くこととする。そして若干だが盛っている。それくらいが丁度いい。それくらい肩の力を抜いて、自分に都合よく生きても誰も責めやしない。

加えて、冒頭からいきなり失礼するが、この村上侑紀という人間の歴史を知ったところで学べることは一つもないだろう(笑)ではなぜそんなことを書くのか。これは村上侑紀という人間がいかに普通で平凡で、根暗で陰湿な時代を送ったかということを恥じらいもなく書き殴ることで知ってほしいから。

そしてそこに共感をしてもらうことでそのあとの文章を読むのが楽しみになるように仕掛ける、言わば読者の皆さんとの周波数合わせ、チューニングのようなものだ。

なので、「私は生まれながらにして天才で裕福で、何の不自由もなく暮らしている」というような非凡な読者はこの章を飛ばしてさっさと先に読み進んでほしい。いや、むしろこの本を読むこと自体が時間の無駄のような気がしてならない(笑)

そんな方はメルカリに出品するなり、必要としている大切な友人にプレゼントするなりしていただきたい。それくらいの優しさがあってもいいし、何より時間は有限である。

話を戻そう。小学生の頃、特に低学年の頃の記憶で覚えていることは本当に少なく、二つ下の弟や近所の友達と外が真っ暗になるまで遊んでいた覚えだけはある。そんな日々がテレビゲームの登場によって世界は一変、完全にインドアの世界に浸るようになってしまった。

それからは「ゲームは一日二時間まで」という親と結んだ契約をいかにして破るかに頭を使った。そんなところだ。これと似たタイプの人間は山ほど居るだろう。

ちなみに、親が寝静まった頃に布団から抜け出し、忍び足で泥棒のようにリビングに行きテレビゲームをしていたあの頃。余談だが、深夜に暗い中でゲームをすると視力が急激に落ちるので今まさにやっている人は止めた方がいい。親に怒られるより深刻な問題だ。