実家の祖母が駄菓子屋を営んでおり、お菓子やジュースは食べ放題、飲み放題。売り物である商品を勝手に持ち出す、それがよくないことだという認識はなかった。それくらい僕は自分の心に正直だった。天国にいるおばあちゃん、今更だけどごめんなさい。
お陰で僕の身体はスクスクと育ち、気づけばクラスで一番と言っていいほど大きく、たくましくなった。鏡を見ると、なんてことだ、完全なるデブがそこに立っていた。
中学校に上がり、僕は友達が入るからという理由でバドミントン部に入部した。デブなのに運動部を選んでしまった。初日、親に頼み込んで買ってもらったラケットで石を打った。一瞬でガットが切れた。どうやら世の中にはやって良いことと悪いことがあるということをこの時知った。
基礎体力作りということで部活は校内をまず一〇周走るところから始まるルールだった。デブにはこれが大変きつく、「なんでバドミントンなのにランニングしなきゃいけないんだよ!」と反感を抱いていた。
そこで僕は一周走ってはトイレに隠れ、皆が九周走ったのを見計らってトイレから飛び出し、ぜぇぜぇ息巻いて合流。見事ばれずに校内一〇周を終わらせた。本当にずる賢いと思うし、なかなかのアイディアマンである。
学校の勉強は苦手、というか何でわざわざ学ぶ必要があるの? と感じていた。将来科学者や博士になりたい訳じゃないし、どこで役立つのか疑問に思っていた。本当に生意気な子どもであるし、先を見通すことに長けている。
それに拍車をかけるように、我が家ではテストで悪い点を取っても叱られることはなかった。そんな両親を本当に尊敬する。部活は一年で嫌になって辞め、勉強もしない、スポーツもできない僕の学校での存在価値は皆無に等しかった。
別の意味で人気者だったのか、下駄箱の内履きに画鋲が入っていたり、廊下を歩いていると背中に画鋲が飛んできたりすることがあった。画鋲は掲示物を貼り出す際に使う物で、決して人を刺したり投げたりする物ではない。刺さると痛いし血が出る。馬鹿とハサミは使いようだということをこの時に知った。
ちなみに画鋲を投げた友人はケラケラ笑っていた(この時の顔は今も覚えている)。これは完全にイジメだ。もはや友人と呼んでいいのか分からない。
しかし青春時代である。僕には好きな女の子がいたが、そんなデブで根暗な男なんて見向きされるはずもなく、一言も喋ることなく卒業した。いや待て、一言だけ喋った。その子が教科書を忘れた時に言った「一緒に見せて?」「いいよ」だ。毎日教科書を忘れたらいいのにと本気で思った。それくらい僕は自分の心に正直だった。