「……20歳までは、生きられないかもしれません」
救急車の中で、思ってもいなかった現実が、一緒に乗っていた父だけに告げられた。生まれたばかりの赤ちゃんをそっと抱きしめたり、おっぱいをあげたり、おむつを替えてみたりする入院生活を、母はひとりで過ごした。
出産を終えた周りのお母さんたちが、これ以上ないというくらい幸せに笑いかけている赤ちゃんが、母の隣にはいない。その代わりに、両方の病院へ通っていた父が、母乳を私のもとへ、私の写真やカセットに録音した泣き声を母のもとへ届けていた。
1週間がたち、産科病院を退院した母は、まっすぐ小児病院へ向かった。
「やっと会えたね」
初めて抱きしめることができた私はとても小さくて、けれど心配していたよりもずっと元気そうに見える。
面会の後、私の状態についての話を聞く場で、担当の先生は初めにこう前置きした。
「長いお付き合いになると思います」
先天性心疾患、単心房単心室、無脾症候群。私につけられた病名、つまりキミの名前は、まるで別の世界から現れたような、新しい言葉だった。
私の入院はしばらく続いた。
病院で面会をすることはできても、一緒に帰ることはできない日々。母は私のいない家での時間を、病名を調べてみたり、同じ疾患の子を育てているお母さんのブログを読んだりして過ごしていた。どんなことに気をつけなければいけなくて、どうやって育てたらいいのか。分からないことばかりだった心疾患が日常として綴られているブログは、母の不安を少しずつ溶かしていった。