【前回の記事を読む】【小説】「その完全犯罪という奴に、私も混ぜて貰えないか」
監視社会の抜け穴
たとえ話
「そうですか、素人は難しいか。それなら車で海に飛び込んで、私だけ車から抜け出して助かるってのは、どうです。妻は泳げないんですよ」
別府三億円保険金殺人事件という有名な事件が有る。某有名作家の『疑惑』は、この事件をヒントにしている。これはよっぽど上手くやらなければいけない。下手をすれば自分も死んでしまう。被疑者は車が直ぐに沈む様に、予め水抜き穴のゴム栓を全部取り外していた。そして脱出に邪魔な運転席のルームミラーを、固定式の物を取り外して、可動式な物に変えていた。
さらにダッシュボードに、窓ガラスを割るための金槌が用意してあった。車が引き上げられこれらが判明して、警察に起訴され、悲劇の主人公から一転、疑惑の渦中の人と成った。ただ上告までして争ったが、途中で病死して控訴棄却に成っている。
ちなみに被疑者は、チャパキディック事件を参考にしている。これはケネディ大統領の末弟エドワード・ケネディが起こした事故で、飲酒運転、死体遺棄、不倫と、数々のスキャンダルが取り沙汰され、この事件の影響で結局大統領には成れなかった。今なら良いワイドショーネタに成る。
「難しい方法を選びましたね。下手をすれば貴方も死んでしまいますよ」
私は少なくなったアールグレイを飲み干して説明した。
先ず奥さんが運転していた事にしなければならない。でも今の車はみんなドライブレコーダーを付けている。嘘がばれる可能性は大きい。別府三億円保険金殺人事件の被疑者の様に、車に色々仕掛けをして、脱出しやすい様にしても、車を引き上げられてばれてしまえば、この被疑者の様に起訴されてしまう。あくまで白を切り通しても、奥さんが不倫していた事が世間に知られれば、この被疑者の様に、ワイドショーの良いネタにされる。
「この被疑者の様に、疑惑の渦中の人と成って、長い裁判を戦いますか」
「う~ん、世間のさらし者に成るのは、殺されるより厭ですね。では簡単に、階段から突き落として、誤って落ちた事にすれば」
もう一杯アールグレイを注文して、説明を続けた。
これもドラマの定番である。だいたい家の階段位では死なない。それこそ誰にも見られない様に、夜中に神社か何かの長い階段の上におびき出し、突き落としでもしなければならない。これでも巧く転がれば、死なない確率も大きい。警察に言われて、犯行がばれてしまう。上手く死んだとしても、夜中に階段の下で死んでいるなんて事件性が高い。それこそ周辺の防犯カメラを調べ、死亡した人の夫が写っていれば、完全に疑われる。
「ドラマと違って、死なない確率の方が高いですよ。上手くいっても、またどこかの防犯カメラに写っているかもしれませんよ。それでもやりますか」
ここまで自慢げに話してはきたが、この男の話は何のトリックも無い、どれもありふれた話ばかりでは無いか、そう感じた。いい加減ネタ切れだと思ったら、
「……もう最後はこれしか有りませんね。殺し屋に頼みましょう」
「同じ事ですよ。貴方が頼める殺し屋なんて、ヤクザの下っ端位です。そんな奴直ぐ足がつきますよ。それより、誰が殺したかじゃなくて、何故殺されたかを調べれば、直ぐ貴方に辿り着きますよ。だって奥さん浮気してたんでしょ。それなら、殺し屋に大金払うより、安くて簡単で、しかも合法的な方法が有りますよ」
「何故早く教えてくれなかったんですか。探偵さん、意地が悪いなあ。それでどんな方法ですか」
「離婚すれば。今の世の中、それだけで十分ですよ。ちょっと年金が減る位かな」