【前回の記事を読む】人気ミステリー作家が転落死。衝撃の事件は波紋を広げる
プロローグ
オンライン追悼会
この非常事態の中で故斉田寛にゆかりの人々に残された唯一の追悼手段は、故人と近しかった友人たちがいわゆる三密(密閉・密集・密接)を避けて、オンラインで追悼会を催すことに限られた。
時期は五月初めから半ばにかけて、当初百五十人くらいが参加を表明したがオンラインで百五十人というのはテクニック上の限界を超えている。主催者は何回かに分けて追悼会を催すという方法を取らざるを得なくなった。
故人の交際範囲は広くて多岐にわたっていた。加えるに故人は至ってさばけた気取りのない人柄だったのでそれぞれの追悼会は参加者の趣旨に沿って飲み会風にするか、鳴り物入りか、追悼文の披露にするか気の向くままに開き、報告会などは不要。参加したい人はそれぞれの幹事に連絡し、追悼会のハシゴも結構――ただし原則としてオンラインで。面白いトピックがあればSNSで拡散するのも各自の自由である。
その先陣を切ったのは、その中でも特に故人と深いかかわりのあった人々のグループだった。あれこれアレンジの末に何とか十数人に絞り込まれた。ところがいざ当日になると更に参加者のキャンセルが出て結局この種の集まりとしては妥当な十人という数に落ち着いた。松野はこの第一回斉田寛追悼会に自ら手を挙げて司会を買って出た。
追悼会は松野自身の簡単な自己紹介から始まった。
「初めまして。私は松野忠司といいまして、メディア・ドット・ジェーピーの編集責任者です。斉田先生とは先生の新しいミステリー・シリーズの『古美術の謎・月葉亭』の取材でお目に掛からせていただいた者です。お亡くなりになる三月ほど前のことでした。お付き合いは長くはありませんでしたが先生の晩年を知る者として僭越ながらこの追悼会の司会を買って出ました。
本来ならばホテルで追悼会をする予定だったのがコロナウイルスのせいでオンライン追悼会という形になり、天国の斉田先生もさぞ驚いておられることと思います。それに今日の出席者は全部で十人、奇しくもルネッサンス期の作家、ボッカッチオの『デカメロン』みたいになりましたね」
――『デカメロン』はルネッサンス時代のイタリアで、ペストで死の町と化したフィレンツェから逃れた男女十人が郊外の邸宅で毎日一人が一話ずつ、十日間で全部で百話の小話を語り合うという物語である。
内容は作者が見聞きした、或いは当時巷に流布されていた小話を集めて編集したものらしく、風変わりな出来事や男女の色恋、ことに破戒坊主や尼僧の色ばなしなどで占められている。亡くなった斉田寛は生前女性とも結構浮名を流したので、この設定は故人にふさわしいものかも知れなかった。