形見
「親思う心に勝る親心」と申しますが、私はこの言葉を聞くと両親の思い出が蘇ってまいります。
母は残念ながら平成29年8月に97才で亡くなってしまいました。父も14年前にすでに他界しましたが、二人ともたいへん仲の良い夫婦でした。
どちらかと言うと感性で行動した父に対して、母はとても思慮深い性格で、私にとって非常に大切な相談相手でもありました。母の思い出はたくさんありますが、中でも私の小学生の頃のある出来事が忘れられません。
私は小学校から帰るやいなや、カバンを投げ捨てて、近所の子供達と相撲を取ったり、川に魚を獲りに行ったりと毎日外に出て遊んでいたのですが、五時頃になると必ず母が私を探しに来るのです。
そして近所に住んでいた母方の祖父母のところへ、母が作ったおかずを持って行く用事を言いつけられたのです。私は四人兄妹でしたので、「なんで毎日僕ばっかりなんや」と文句を言いながら、そのおかずを届けに行っていました。
届けますと、必ず祖父が「将棋をしよう」と言います。最初の頃は、飛車角おちでも勝てなかったのですが、そのうち対等でも勝てるようになりました。その後祖父は亡くなりました。
祖父母は当時、伯父の家に住んでいましたから、母が食べ物を作って持って行く必要はなかったのです。それにもかかわらず、そうして毎日届けていたわけです。母の両親に対する愛情の深さに、親思う心の大切さを私は教わりました。
父は14年前に93才で亡くなりました。父が若い時、親が知り合いの借金の保証人になったことから、家屋を取られ、母親を連れて長屋に住み、学問も旧制中学(今で言う高校)までしか行けず、非常に苦労した、という話をよくしておりました。
戦前は火薬所に勤め、戦後は妻(私の母)の親が経営する会社の役員をしておりました。父の思い出もたくさんあります。
その中でも特に私の心に残っている、父の形見とも言える言葉があります。
「もうええわ」。
それは次の場面で聞かされました。
93才で亡くなる前、父の身体が急激に弱っていきました。その時私は、父の足の三里やいくつかのツボにお灸をしたのです。するとある時、突然私の顔を見て「もうええわ」と言ったのです。
「なんでや? お灸して元気にならんといかん」
と私が言うと、
「お母さんやお前たちのおかげで、わしの人生は良かった。もう思い残すことはない」
と言うのです。
その言葉を聞いた時、私の中を電流が走ったような気がしました。一日でも一時間でも長生きして欲しいと願っていましたが、父のあまりに予期しない言葉にびっくりし、
また、凄いなあと思い、思わずお灸をする手をとめてしまったのです。父というより一人の人間としてさらに尊敬するようになりました。それからほどなくして父は息を引き取りましたが、まさに大往生です。