当然、やる気がないので全然、勉強ははかどらない。そもそも、宿題をやらない僕は勉強の仕方がわからない。その時間割を見たのは担当医だったと思うが、驚いていた。

「休みすぎだよ」

「……」

「休憩は十分にしなさい」

「(えっ? 十分だけ!)はい……」

そして学校と同じ時間割に直された。グッと腹の中で「クソ」と思った。

まあ、当たり前のことではあるが、これじゃ、入院してる意味がないと本気で思った。僕は勉強なんかしたくない。白いシーツに包まれて平和に惰眠を貪りたいのだが、それからの入院生活は休みがなくただ辛いだけの学校と変わらない生活になった。

そんな中、担任が見舞いに来た。担任の先生の両手にはクラスの皆が書いた僕宛ての手紙と千羽鶴があった。先生は僕を励まして帰っていった。手紙には『早く治してね』などおなじような内容の手紙が箱からあふれるほどあった。

僕は手紙読んで涙を流して喜んだ。千羽の鶴は僕の周りを飛び回り喘息を軽くしてくれた。皆に感謝でいっぱいになり早く喘息を治そうと奮起した……はずもない! イヤイヤ、おかしい。というか違和感しかない。

ご存じの通り僕は嫌われている。特に女子から嫌われている。

果たして、この手紙は本心なのか?

心を込めて鶴を折ったり、手紙を書いたりしたのかと考えると疑いたくなる。書いてくれたことには感謝するが、どうしても、日々の学校生活を思い起こすと疑いたくなる。疑心暗鬼で屈折した僕が思うに、先生は教壇に立って生徒を無理やり同情させて鶴を折らせたり、手紙を書くように指示したりしたのではと想像する。

多分、間違っていないだろうと思うがどうだろうか?

もし、心を込めて書いた人がいたら申し訳ないのだが、僕はそれ程に人の嫌な内面を見すぎていたので信用が出来なくなっていた。

そもそも、クラスの女子に嫌われる理由は先にも書いたが、風呂に入るのが面倒で風呂に入って体の垢を落とすのは週に一回くらいだったためだ。隣の女子は露骨に席を離して僕との距離を空けていた。あまりにも臭うので先生に教室の外に呼び出され、小声で「ちょっと、臭うよ!」と注意されたくらいだ。
そりゃ、嫌われるだろうと大人になった今では思う。

生きる気力が希薄だったのだろうか? 何事も面倒臭かっただけなのか? 家庭環境のせいでストレスが溜まっていたのか? 今でもわからない。やっと、毎日風呂に入るようになったのは中学に上がってからである。

小学生の頃から僕のことを知っているクラスメイトは僕の体をクンクンと嗅ぐと「大変だ! 臭くなくなってる!」と隣のクラスの仲間にまで宣伝するほどだった。