【前回の記事を読む】「ルーブル変わらない!」ナポリの代表地、国立考古学博物館へ
1998年11月28・29日(土・日)クレラー・ミュラー美術館見物記およびライデン紀行
-フィンセント・ファン・ゴッホの作品-
11月の日本経済新聞文化欄に「孤独の交流10選-アルルのフィンセント・ファン・ゴッホとゴーギャン」の連載がありフィンセント・ファン・ゴッホ、ゴーギャンの絵が紹介されていました。
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館にある作品が3点、クレラー・ミュラー美術館に3点、その他にはヨーロッパの美術館に3点(スコットランド・ナショナル・ギャラリー、エルミタージュ、コペンハーゲン)、アメリカ(ボルティモア)に1点でした。
5月のアムステルダム紀行で「大堤防とクレラー・ミュラー美術館をそのうち見に行きたい」と申し上げたのですがこの季節に大堤防で北風に吹かれても意味がなく、今回はクレラー・ミュラー美術館、ヘット・ロー宮殿とオランダ西部の都市ライデン、ロッテルダムを観光しました。
フィンセント・ファン・ゴッホの作品を収蔵している点数を見ても、観光資源の面からはアメリカよりヨーロッパの方が上です(大手総合商社ニューヨーク駐在員のCさん、悔しいでしょう)。
クレラー・ミュラー美術館はフィンセント・ファン・ゴッホの作品の収集で知られる美術館でアムステルダムから列車で東に約1時間のアーネムからさらにタクシーで20分のオッテルローにあり、広大なホーヘ・フェルウェ国立自然公園の中で、周辺は真っ平らなオランダにしては珍しい緩やかな丘陵地帯です。
美術館で一番有名な絵は「アルルの跳ね橋」ですが、最初感じたのは従来抱いていた明るい青と黄色ではなく思ったより暗い色調だったことです。
他の作品についても同様で、売店で作品目録を見て気がつきましたが作品を保護するために意図的に照明を暗くしてあるようです。作品目録を手にもう一度著名作品を見比べてみましたが、本物を暗い照明の下で見るより目録の写真の方がフィンセント・ファン・ゴッホらしい色調に見えたのはおかしなものです。
日本経済新聞文化欄に紹介されていた作品では「種まく人」「レ・ザリスカンの並木道」「糸杉と星の見える道」がありますが、「種まく人」は他の作品と交替で倉庫収納中、壁面にはまだたっぷり余裕があるのにもったいないと思うのは日本人観光客の貧乏根性の反映なのでしょうか。
絵を見る時にはその背景、解説等を事前に勉強しておいた方が面白く見られるようで、それにしても思いついて気軽に本物を見に行けるのはロンドンに単身赴任している便利なところです。
フィンセント・ファン・ゴッホは日本での人気が高いようですが、彼が日本の浮世絵に引かれたように日本人の美意識にフィンセント・ファン・ゴッホの絵が訴えるところがあるのかもしれません。
クレラー・ミュラー美術館からタクシーでさらに15分行ったところにオランダ王家最大のヘット・ロー宮殿があります。後にイングランドを征服したオレンジ公ウィリアム(イングランド王在位1689年~1702年)が狩猟用離宮として1685年に建築開始した宮殿で、広大な森に囲まれた環境からも装飾のレベルからも規模だけでなくオランダで最も美しい宮殿と言われています。
ただ、同時期に完成間近だったヴェルサイユ宮殿と比べれば質素なものです。イングランド征服後のイングランド王ウィリアム3世(イングランド王在位1689~1702年)、メアリー2世(在位1689年~1694年)はロンドンでケンジントン宮殿を建築し(我がフラットから歩いても30分くらいです)、8月に見学した時オランダの影響を受けた一連の部屋があったように記憶しています(ケンジントン宮殿はダイアナ妃がチャールズ王太子との離婚後住んだところとして有名ですがその部分は公開されていません)。