私のオーストラリア留学
母の出発からしばらくして、私は知り合いの子供達とともに、留学ツアー会社から、引率者と生徒約20名と一緒にオーストラリアのパース空港へ出発しました。ツアー自体は2週間くらいで、私以外の子供達は帰国しました。私はみんなが帰国後にホームステイ先を変え、オーストラリアへ残って平日は語学学校へ通っていました。
留学生活も6ヶ月が過ぎたある日、母から通っていた語学学校へ電話がありました。
「王様から、貴方をモロッコへ連れてくるよう言われたから、タイ航空へ行き航空チケット受け取って、バンコクへ行ってちょうだい。その日Jaidy氏(ハッサン国王の側近)という人が迎えに行くから!」
それを聞き、私は急いで航空チケットを取りに行きました。チケット見てみるとなんと出発は1週間後。私は急いで学校を辞める手続きをし、その日のうちにホストファミリーへ事情を話しました。
もちろん、かなり驚かれていましたが、モロッコへの出発準備であっという間に時が過ぎてしまいました。私は母に会えるのがとにかく嬉しくて、1人でバンコクまで行き、見ず知らずの方に会うということには不安を感じたりはしませんでした。
バンコク、スワンナプーム国際空港に到着すると、私に会ったことがないはずのJaidy氏が私の所へ来て、
「貴方が由紀子だね」
と言われたのには驚きました。
後で聞いてみると、母が私達の写真を送ってくれていたので、すぐに分かったという事でした。バンコクでは2日間はJaidy氏の仕事の為、オリエンタルホテル(現在はマンダリンオリエンタルホテル)のスイートルームに滞在し、観光をしました。
その後「やっと母の待つモロッコへ行ける!」と思っていたら、フランスのパリでトランジットがあると言われ、一路フランスへ。フランス、シャルル・ド・ゴール国際空港へ着く頃にはすっかり日が落ちていましたが、何故か空港から車に乗せられました。
そこで彼は、「これから親戚の家で食事をするから」と一言。とても寡黙な方で冗談など言わない人なので、私も何も言えず言われるがまま何故かJaidy氏の親戚の家へ行き、一緒に食事をしました。正直、その時は、「本当に、この人はモロッコに連れて行ってくれるのだろうか⁉」ととても不安で、何を食べたか味すら覚えていません。ただ、何度も「いつモロッコへ着くのか」と聞いた事は鮮明に記憶にあります。
よく考えたら、当時私は15歳のほんの子供で、ただただ不安でしかたなかったのだろうと思います。
ようやく、Jaidy氏から出発すると言われ、心の声は、「やったー! やっとだよ!」と叫びました。再び車で今度パリ、オルリー空港へ行くとカウンターはどこも閉まっており、空港関係者も誰もいない。またまた不安がよぎりましたが、彼はそれを知るよしもなく、ただ滑走路の方に歩いて行きます。そしてそのまま滑走路へ降りて行くと、そこには1機の航空機が目の前に。
そこでJaidy氏から、
「由紀子、この事は誰にも内緒だよ!」
と一言だけ言われました。
すると、パイロットとCAがタラップの下で私達を見つけると、駆け寄って機内へ誘導してくれます。後ろを振り返ると、私達2人が乗り込むとすぐにドアが閉まりました。
なんとそれはチャーター機だったのです。機内では飲み物や食べ物を供され、そして最高のおもてなしを受けながら、一路母の待つモロッコへ向かいました。こんな経験は人生でも最初で最後だと思います。
いよいよモロッコへ到着しました。母が、チャーター機のタラップの下で私を待ってくれていました。久しぶりの再会に、2人で抱き合ってその場で大泣きしました。