【前回の記事を読む】「家内安全のためと思い…」虐待を受ける少女が下した決断

カウンセリングに至るまでの道のり

高校のときには、父親や担任の支援で、短期留学を経験することができた。父親は母親の感情の嵐に耐えながら、行かせてやるといいと一貫して言ってくれた。担任は、家庭の事情をよく理解していたわけではないが、優秀な子しか行けない機会だと上手に母親を説得してくれた。

初めて母親から離れて過ごす夢のような時間の中で、やはり自分はこのままではいけない、とはっきり考えるようになり、自分の得意なことは勉強だけだ、母親との関係を変えるには、いい大学に入って母親を見返すことだと考え、猛勉強し、評価の高い国立大学に入学することができた。

「自分では母親に対して、『見たかっ!』という気持ちでしたが、母親はわたしがいい大学に入ったことを、母自身の手柄のように人に話し、わたしに対しては誰のおかげで大学に入れたと思っているんだと恩を着せるような態度をとってくるので、『やったっ』という気持ちはあっという間にしぼんでしまい、そのあとは、ただただ腹が立って仕方ありませんでした」

この人が自分の怒りを、気持ちを込めて表現したのはこれが初めてだったが、やはりと腑に落ちる気がした。この人は母親にも、自分にも腹を立てているのではないか。そのような感覚が、私の胸の中に広がっていった。その怒りは、いつ、どのような形で表れるのだろう。どのように受け止めていくことができるであろうか。

「暴力への恐れはありましたが、反射的に頭をかばうといったことはなくなりました。でも、母が今何をしているのか、どこを見ているのか、母のそぶりを気にして母を盗み見るのは続いていました」

この人が私をじっと見るのは、私の様子を窺っているんだということが、次第にわかってきた。二人きりの密室で見つめられると、相手が何を考えているかわからず、ふと不安な気持ちに襲われたりしないでもない。たぶんこの人の、盗み見るとか様子を窺うという行動は、本人が思うよりもずっとあからさまな態度で表れていたのではないか。

じっと見られるものだから、母親は苛立ったり、時には不気味になったりしていたのだと思う。どうもこの人は、自分が思っている自分の態度と、他人から見えている自分の態度とが乖離していることに、気づいていないようだ。もしかしたら他人の目に自分がどのように映っているかに、関心がないのかもしれない。

「家事は母親がすべて仕切っていて、指示に従って洗い物をするとか洗濯物を運ぶとか、下働きのようなことしかしていませんでした。言いつけられたこと以外に手を出そうものなら、よけいなことをするな! と叱り飛ばされていたので、自分では料理もできないし、掃除洗濯すら自信がないような有り様でした。それなので大学に入ったから一人暮らしをします、とは言い出す自信はなく、家にいて恩を着せられるか、無能呼ばわりされて邪魔者扱いされるかだけでした」