臼蓋回転骨きり手術

2009年、未央22歳

8月5日、真夏の太陽が容赦なく照りつける暑い日だった。

私は右足をひきずり、母の助けをかりて、車に乗った。

千葉の自宅から都内にある大学病院までは2時間近く掛かる。

車の中で私と母は一週間前、同病院整形外科の担当医によって語られた所見と手術についての説明を反芻していた。

担当医はレントゲン写真を見ながら、話し始めた。そこには私の股関節のレントゲン写真が投影されていた。

「股関節は、大腿骨(だいたいこつ)の上にある骨頭(こっとう)と呼ばれる丸い部分が、骨盤の(かん)(こっ)(きゅう)と呼ばれるソケット状の骨にはまり込むようになっています。うまくはまり込んでおりますと、股関節が安定し、足を前後左右に自在に動かすことができます。しかし、写真を見てください。ソケットの受け手である寛骨臼が欠けております。

これが、未央さんの歩行を困難にしている原因です。年配者ですと、欠損した部分を金属でつくった人工骨で補助するんですが、お嬢さんはお若いので、お尻の骨を削った骨で補助します。この手術に危険はありませんが、かなり大掛かりです。3時間ほど掛かります。手術後、2~3ヵ月ほどリハビリすれば歩けるようになります。ただ、お気の毒なのは腰に30センチほどの手術痕が残ります」

「お母さん、リハビリがうまくいけば、9月にはアメリカに戻り、12月の卒業式に出席できるね」

「そうなるといいわね。きっと大丈夫よ」

30センチの手術痕ができるのは22歳の私にとって、残酷なことだが、歩けるようになる、関節痛の苦痛から解放され、アメリカの大学に戻れると思うと心が弾んだ。

車は12階建てのビルの手前にあるアプローチに滑り込む。大学病院は、明治時代に開業した伝統ある病院である。最高の医療スタッフが集結していると思う。病院を、先生を信じよう。

病室に入ると、看護師の方が血圧、体温を測定。体調を聞き、メモを取る。年は私と同じ位である。白衣でテキパキと働く姿が眩しい。

ベッドに横になり手術時間が来るのを待つ。枕元にテレビがあったが、テレビを見る気はしない。無造作に腰に手をやる。柔らかくすべすべしている。その感触に別れを惜しむように撫でる。

スマホのベルが鳴った。

Mからのメールだった。

「未央、元気、「嵐」スゴイね。コンサートへ行きたいね。未央が行くんだったら連れていってあげるよ。頑張ってね」

「M、ありがとう。秋にはきっと歩けるようになるから、その時はよろしくね」

Mは足の不自由な私をいつも心配してくれる。ありがとう。