【前回の記事を読む】自閉症児の母親が痛感、我が子の発達を望むうえで大切なこと
常に話しかける
幼稚園は遠かったので、送り迎えには自転車が必要でした。自転車に乗れなかった私は、その頃売り出されたばかりの大人用三輪自転車を購入し、生まれて初めて自転車の練習をしました。
そして長男を前の座席に、次男を後ろのカゴに乗せて幼稚園の送り迎えをしました。通園の20分の間、子どもが黙っているからといって、親も黙って時間を過ごすわけにはいきません。
もともと、私はおしゃべりが苦手な性格でしたが、送り迎えの最中は、道すがら季節の移り変わりの様子を見て「春になったね」「たんぽぽが咲いているね」などと言ったり、童謡を歌ったり、しりとりをしたり、一人、壁に向かって話しかけているような状態でしたが、無反応な息子に絶えず「言葉かけ」を行い続けました。
健常な子どもだったら、子どもからの質問があり、ごく自然に出来る親子のやりとりですが、子どもからのアプローチがなく、親と眼を合わす事が出来ない無反応の長男を放っておいたら子どもとのコミュニケーションがないままに、どんどん時は過ぎていってしまいます。
一生懸命話しかけました。しかし、やたらと絶えず喋っていても、右から左に抜けていってしまい努力の無駄になってしまうので、同じ年齢の子どもの興味を引きそうな話題や童謡を歌うようにしました。健常な子どもだったらこんな事を聞いてくるだろう、また、このような知識を教えたいと、絶えず考えながら、その場面にふさわしい必要な言葉をかけていきました。自転車の後ろに乗せた次男は、どんどん言葉をかけてきます。自分からのアプローチは旺盛です。
私は、長男は、今はしゃべれなくても、言葉の貯金箱に一杯貯めているのだと常に考え、今にきっと言葉を理解出来るようになると、子どもを信じて「言葉かけ」を行い続けました。
母親教育セミナーの教え
園長先生は、子どもを教育していく上で、母親の教育が必要という教育方針で、度々、母親全員を対象に「母親教育セミナー」が開かれました。
「障がい児と健常児の違い」「子どもの発達について」、著名人を招いて「子育てについて」経験談を語ってもらうなど、勉強することが出来ました。
●知的障がいを持っていても「発達の芽」を持っており、その発達段階は健常児と同じで、発達が早いか遅いかの違いだけである。
●小さい時の自由度。どの位遠くまで一人で遊びに行かせたか? また、家の中の物を自由にいじらせたかといった事が、その後の子どもの認知・知的発達と相関関係がある。
●子どもは、「遊び」から発達・成長していく。
●母親は、教師になる必要はない。
●家庭生活、地域生活があって教育ができる。
●困難を乗り越えた時、他の出来なかった事が出来るようになる。
子どもの教育に対し、何もわからなかった私に、その後の教育基本方針ともなる考え方を指導して頂けました。
幼稚園では、子ども達に「サッカー」を教えていましたが、子ども達の尻を叩くだけでなく、その大変さを母親達にも実感させ、子どもへの理解につながるよう「母親のサッカー教室」が何回か開かれました。
私はもともと運動が苦手だったのですが、この「サッカー教室」により、初めてスポーツをやる楽しさ、爽快感を味わえました。そして、日頃の悩みから解放される時間を持ち、また、健常児のお母さん方と遠慮なく付き合えるきっかけとなりました。