【前回の記事を読む】人口一万人の小さな町で「みかんはいつも私のすぐ側にあった」

第一章 大自然の中で

ボンッ

車のボディに文旦が豪快にぶつかった衝撃で、私は、通常の時を刻む、音のある世界に引き戻された。同時に、脳天から足の指先まで、全身を雷に打たれたような恐怖心が走った。黒塗りの車がゆっくりと大きくUターンして、こちらに向かってくるのが見えたのだ。

私は気がついたら、走り始めていた。それも、自分が持てる全ての力を振り絞って、全速力でだ。背中のランドセルの中で筆箱の蓋が開き、鉛筆や消しゴムがカタカタと音を立てているのなんて、どうでもよかった。私は少し先のめぐちゃんの家に逃げ込んだ。

「こんにちは。はぁはぁはぁ」

「あら、実里ちゃん、こんにちは。どうしたんよ? そんなに息を切らせて」

めぐちゃんのお母さんが呑気そうな顔で出てきた。私はできるだけ平静を装って言った。

「真美子おばちゃん、しばらくここにいさせて」

おばちゃんは、隠れん坊でもしていると思ったみたいで、「はいどうぞー」と言うと、家の奥に入っていった。

私は、こんなにも自分の心臓の音が、ドクドク鳴るのを聞いたことがなかった。目をギュッとつぶり、拳を握りしめて、「お願いします、見つかりませんように」と願った。

しかし、私のその願いは、ガランッと玄関の扉が開く音によって、呆気なく打ち砕かれた。恐々と目を開くと、めぐちゃんとスーツを着た身なりの整った頭の毛の薄いおじさんが立っていた。めぐちゃんは、下を向いていた。おじさんが私の目を射るように真っすぐ見つめ、口を開いた。

「実里さん?」

「……はい」

私は、こんなにも自分の喉が、か弱い声を出すのを聞いたことがなかった。

けれど、観念しておじさんに向き合って話をした。この人はこの町の中学校の先生をしているということで、とくとくときっちりと叱られたけれど、最後に、

「すいませんでした。もうしません」

と謝ると、親や小学校には連絡しないと言ってくれた。ピカピカの黒塗りの車の持ち主が、学校の先生で助かったのだった。

私はこの一件で、多少の善悪は身につけたかもしれないが、不活発で大人しくなったということは微塵もなかった。相変わらず、例えば、授業中に先生が、

「静かに」「静かにしなさい!」「二度も三度も言わせないで、静かに!」「何度言ったら分かるの? 静かに!」

と声を張り上げると、先生の気も知らず、

「四回で!」

と発言するような子のままだった。