第1章 前提としての「無常観」と「アニミズム」

第2節 無常観と「夢の世」あるいは「夢幻泡影」

そして「涅槃」である死もまた夢からの覚醒を意味した。武士で俳文集『鶉衣(うずらごろも)』の作者でもあった横井也有(やゆう)(一七〇二~八三)の辞世句は「短夜やわれには長き夢さめぬ」であって、「夢」を辞世に詠み込む例は江戸から昭和の戦前まで実に多い。

なお反仏教の立場の江戸時代の儒者は、例えば室鳩巣(むろきゅうそう)(一六五八~一七三四)のように

「天地開闢以来、人間社会には君臣・親子・夫婦間の倫理、仁義礼智信という三綱五常の道があって、今まで変わりがない。この世は実体があり、その道を実現すべき場だ。それなのに仏教はこの世を夢と見、仮と見て、真実と嘘を見分けられず、その三綱五常の道をゴミのように破棄するものだ」

と非難した(『駿台雑話』一七三二年成立 岩波文庫 昭和17年 新妻訳)。この「夢の世」観は、先述した『閑吟集』の「ただ狂へ」式な現世享楽主義をも生む。

17世紀半ばの紀州藩二代藩主徳川光貞は、藩士・浅井駒之助の著わした『長保寺通夜夢物語』によれば、「世の中は夢じゃ夢じゃただ楽(たの)しめ」とばかりに、遊山・普請・能・鷹狩に明け暮れ藩政紊(びん)乱を引き起こしたと批判されている(柴田純「武士の精神とはなにか」『日本の近世3』中央公論社 一九九一年 所収)。

江戸後期でも京都町奉行与力の神沢杜口(一七一〇~九五)は「命の内は運有れば、此の上に菰(こも)を被(かぶ)らん(=乞食になる)も、玉殿に昇らん(=貴族になる)もはかられず(=予想できず)、どちらにしても夢の戯れ、ともかく戯(たわむれ)あそべェ」(『翁草』「八十翁の言」『日本随筆大成 第三期』吉川弘文館 一九七八年 ⑥の第二十三巻 所収)と現世享楽的な姿勢だ(神沢杜口の死生観については本書第7章で後述)。

明治時代の文学者・岩野泡鳴(一八七三~一九二〇)は、「今、ここ」の刹那充実のみを「生」とする「刹那哲学」を標榜したが、「人生は所詮迷ひである。寧ろイリュージョン(=幻影)である、生命とするところは最も根本的な最も現実的なイリュージョンを攫(つか)み得ればいいのだ」(「文学の新傾向」明治41年『岩野泡鳴全集 第十二巻』臨川書店 一九九六年)と書いた。

また後に論ずる岡本かの子には、「うつし世を夢幻(ゆめまぼろし)とおもへども百合あかあかと咲きにけるかな」(「『わが最終歌集』拾遺」『岡本かの子全集 第八巻』冬樹社⑦ 所収)の歌があるが、仏教の教養豊かな彼女の場合、イリュージョンとしてのこの世に咲いている確かな花の命に対する共感の歌だろう。

戦前の哲学者の一人、三木清(一八九七~一九四五)は「人生は夢であるということを誰が感じなかったであろうか。それは単なる比喩ではない、それは実感である」と記した(『人生論ノート』新潮文庫 ⑧)。

しかし他方で、

「生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の條件である。けれどもこの條件は、恰(あたか)も一つの波、一つの泡沫でさえもが、海というものを離れて考えられないように、それなしには人間が考えられぬものである。

人生は泡沫の如しという思想は、その泡沫の條件としての波、そして海を考えない場合、間違っている。しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるように、人間もその條件であるところの虚無と一つのものである。

生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である」

とも書いているところを見ると、人生を夢や泡沫のごとき、虚無的なものと感じつつ、人生の意味形成にこそ生の価値を見たのであろう。

また三木清の師・西田幾多郎の著作を読みふけり、禅を勉強した俳人・永田耕衣(一九〇〇~九七)は「夢の世に葱(ねぎ)を作りて寂しさよ」との句を作った。

森鷗外の長男、森於莵(おと)(一八九〇~一九六七)は、老いて人生を「白昼夢」と観じることに安らぎを見出した。

「私は自分でも耄碌(もうろく)しかかっていることがよくわかる。記憶力はとみにおとろえ、人名を忘れるどころか老人の特権とされる叡智ですらあやしいものである。時には人の話をきいていても、異常に眠くなり、話相手を怒らしてしまうことすらある。

『私はもう耄碌しかかっているのです。このあわれな老人をそっと放置しておいて下さい』といっても世間の人々は時に承知せず、ただ赤児のように眠りたい老人を春日の好眠からたたき起こそうとするのだ。

(中略・私は)ただ人生を茫漠たる一場の夢と観じて死にたいのだ。そして人生を模糊たる霞の中にぼかし去るには耄碌状態が一番よい。というのはあまりにも意識化され、輪郭の明らかすぎる人生は死を迎えるにふさわしくない。

活動的な大脳が生みだす鮮烈な意識の中に突如として訪れる死はあまりに唐突すぎ、悲惨である。そこには人を恐怖におとしいれる深淵と断絶とがある。人は安全なる暗闇に入る前に薄明の中に身をおく必要があるのだ」

(「耄碌寸前」『耄碌寸前』昭和36年 みすず書房 二〇一〇年刊本 所収)。

確かにこの生を「茫漠たる一場の夢」と観じれば、永遠の眠りである死とたいした違いもなくなるから、死を受容することも容易になるだろう。

以上、「夢幻泡影」的な人生観は、日本人の無常観と切り離し難く、これから紹介する様々な死生に関する言説の中でも、「死の受容」との関連で「夢」「幻」の語にしばしば出会うことであろう。