【前回の記事を読む】【終戦80年】昭和十四年三月三日初節句に写した写真――父母にとっては待ちに待った初めての子で、祖父母には初めての孫だった私昭和十九年三月、出陣も間近と思った父は雛人形を飾って常春を招いた。「食糧も欠乏してきてゐたので、大した馳走もできなかつたらう。はつきりした別れの言葉を交はすことなく別れてしまつた。後から思ひ出す度にもつとよくしてやれなかつたかと愚痴ばかり出る」父の身辺雑記…
戦争体験ピックアップの記事一覧
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エッセイ『【終戦80年】戦争体験ピックアップ』【第5回】横山 緝子
【終戦80年】昭和十九年頃――敗戦色が濃くなった日本軍は人間爆弾「桜花」を開発。消息不明となった父方のいとこは…
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エッセイ『【終戦80年】戦争体験ピックアップ』【第4回】横山 緝子
【終戦80年】昭和十四年三月三日初節句に写した写真――父母にとっては待ちに待った初めての子で、祖父母には初めての孫だった私
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エッセイ『【終戦80年】戦争体験ピックアップ』【第3回】棚橋 正夫
【終戦80年】「ドカーン」と爆発する音が連続して聞こえ、家全体が揺れた
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エッセイ『【終戦80年】戦争体験ピックアップ』【第2回】棚橋 正夫
【終戦80年】「みんな起きろ。空襲だ!」屋根の上をシュルシュルシュルという大きな音がして…
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エッセイ『【終戦80年】戦争体験ピックアップ』【新連載】棚橋 正夫
【終戦80年】戦争体験者が語る、「戦争は、国民を極度に苦しめ、全てを破壊し悲惨な結果しか残らない」