【前回の記事を読む】付かず離れずの淡い関係…思わせぶりな態度に翻弄される男
来栖・葛城・真理の三角関係
二人の関係はこのように一定の距離を置いた状況のまま続いていくと思われたが、一度だけ彼女が来栖の思いに身を寄せてくれ、二人は心が通じ合ったのではないかと、少なくとも彼が思ったときがあった。
身内の不幸を洗いざらい率直に打ち明けていた。別に真理の同情をひくために持ち出したわけではない。
たまたま人間の寿命の話になり、彼女が最近死別した叔母の話をしたので、彼のほうもそれに合わせるような話を持ち出そうと思いついてしまった。母親と、さらには弟の死までも彼女にかなり詳しく伝えた。
肉親の自死に近い亡くなり方については原因も不可解なままであること、そして母親のほうの夜中の徘徊やさらには霊魂譚にまつわることまで話していた。
早まってしゃべりすぎたかと後悔するほどだった。家系に伝わる陰鬱さ、さらには先祖からの怨念めいた気配まで母親は感じ取っていたのではないかというようなことまで口走ってしまった。近しい者の死を語った本人は、真理がこの打ち明け話を拒否反応で受けとめるだけだろうと予測した。
しかし彼女はというと、聞きたくもなかったという顔つきにもならず、意外にも非常に興味をそそられた様子を見せた。それも彼の母親が亡くなるまでの顚末を怪奇で忌まわしい話と受けとめている節もない。彼女の関心は、彼が残された者としてどのように苦しみに耐え、苦しみから逃れることができたかということに向けられ、彼自身の受けとめ方を聞きたがる。
「まあなんというか、身内が何かこうしっくりこない按配であの世に逝ってしまうものだから、あの頃は本当にまいってしまった。母親と同じように夜もゆっくり眠れない日が続いたりして、それでも好きなシューベルトのソナタとか主に室内楽の小品を聞いたりして何とか持ちこたえることができたような気がするね。それとずっと後の話になるんだけど、葛城が紹介してくれたクレネクだね。この作曲家に興味をもって少し調べたりしたのも結構気晴らしに役立ったような気がする。その時に『ジョニーは弾き始める』だったかな、彼がオペラというか今ではミュージカルといった方が適当じゃないかと思える作品まで聞いたこともいい気晴らしになった気がする。これなんか、それまではウィーン無調派って暗いイメージしか伝えてこないと思っていたんだけど、ジャズを大幅に取り入れてるんだね。舞台で見たとか聞いたんじゃなくて抜粋のソングが入ってるCDをオーストリアから取り寄せて聞いただけなんだけど。陰気な曲調のものもあるにはあるよ。だけど逆にジャズの騒々しい明るさというのかな、これで楽しい時が持てたね。そんな感じで乗り越えられた感じがするよ」
「けっこう苦しい思いもあったのよね……お母さんのご臨終の時って……ごめんなさい。それで今は立ち直って、過ぎ去ったことよりも、これからのことを考えてらっしゃるんでしょうね」