庇を貸して母屋を取られる《三十三歳〜三十四歳》
恭平の父が弁当会社を始めた経緯は、広島市内の大手弁当会社「万鶴」の大泉社長に請われ、副社長に就任したことに端を発する。それから十年近く経た後、父は大泉社長の下から独立し、「ひろしま食品」を興した。
万鶴の大泉社長は、恭平の父より一歳年下だった。二人は、酒飲みと下戸、艶福家と石部金吉、洒脱者と不器用者、群れ集う人と孤高を気取る人、自己表現は見事に対照的だが、共にシャイで寂しがり屋のアイデアマンだった。
恭平が東京から帰って来る一年前、万鶴は市内中心部から車で二十分の距離に造成された新しい工業団地の一画に、一千坪の敷地を取得し八百坪の工場を新築していた。そして、中心部近くにあった三百坪程の旧工場は遊休状態だった。
店舗経営から撤退するにしても、いきなりの売上低下は間違いなく資金ショートを招く。さらに給食弁当の拡大を図ろうにも、現在の工場では生産も配送もキャパが不足する。これを解決するには、給食の売上を一気に伸ばしながらの工場の移転しかないと考えた恭平は、万鶴の旧工場を借り受けての業務拡張を想い描き始めていた。