僅かこれだけの単純な屁理屈のお陰で、それまでの味気ない作業に過ぎなかった弁当箱の洗浄作業が、一瞬にして興味深く知的な仕事に変わったから不思議だ。恭平は相変わらず洗浄機に弁当箱を投入しながらも、食べ残された具材の種類と量のチェックに注力し、それまで見逃していた幾つもの問題点を発見した。

例えば、主菜や副菜の献立メニューによってだけでなく、天候の違いによっても定量に盛付けられたご飯の残量に差が生じること。独り善がりに自信を持っていたメニューが、案外に不人気なこと。そして何よりも、やはりお客様は変化のない献立と味付けに飽きていること、などを痛切に思い知らされた。

これらの兆候をベースに、栄養士任せだった献立作成に幹部社員を巻き込み販売促進会議に変えた。会議では一カ月分の献立を立てるに際し、過去の献立にはこだわらず、自分たち自身が食べたいメニューを自由闊達に提案し合った。こうして生まれた最大の革新は、十年一日の如く不動の主食だった「ご飯」を、時として弁当箱から消してしまったことだった。

そもそも梅雨時から秋口にかけて自分たちの「賄い」は、うどんや素麺など麺類が定番にもかかわらず、お客様の欲求は自分たちの欲求と全く別物として捉え、何の疑問も感じていなかったことを恥じるしかない。そこで毎週水曜日、ご飯代わりに麺類を提供するメニューに変えたところ、水曜日だけは配達件数はそのままで、注文数のみが二割近く増えた。

視点を変えれば、それまで二割もの潜在顧客を取り逃していた理屈だ。加えて、既存の弁当の殻を破ろうと、バレンタインデーには漬物に代えてキッスチョコを、桃の節句には桜餅、端午の節句には柏餅、お月見には団子などの遊び心も盛り込んだ。これらの情報を伝えるために、毎月の献立表のデザインにも工夫を凝らすことで、売上は少しずつ確実に伸び始めた。

さらに、回収した弁当箱の中に、「チョコ、ありがとう」「今日の○○、美味しかったよ」などと書かれたメモ用紙が散見されるようになり、それらを掲示板に貼り出すことで社員の笑顔が増え、職場の雰囲気も明るくなった。一方、売上が徐々に伸びるにつれ、借物工場の生産性の悪さと生産キャパの限界が際立ち始め、住宅地の狭い道路を起点とする配送の危険性も改めて感じた。だからと言って自前の工場を建てる資金力は無く、このままでは将来への展望が描けないことに恭平は苛立ちを覚えていた。