【前回の記事を読む】【小説】ありし日のおしどり夫婦。平成初頭、出会いの契機は…
第一章 突然の別れ
博史との出会い
このサークルは居心地の良いところだった。「異文化」を共通項としているので、みんな海外問題に興味があり、旅行好きが多かった。専門的な知識を持っている人も少なくなかった。
毎晩九時頃から常連が集まって、チャットする。
掲示板に書きこむ方法も習い、入会して一カ月経った頃、私は三年前に取材したイスラエルについてアップした。
「首都エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地である。
街には銃を抱えた兵士が常に巡回していて、『持ち主のわからない荷物には、絶対に触れてはいけません。テロの爆発物かもしれないから』そんな注意を、どこでも聞かされた。
一つの国の中で、宗教的にも政治的にも対立する存在があり、テロの脅威を感じながら敵視し合っている。
互いの違いを認め合って共存共栄していく道はないものか……云々」
すぐに、会員たちから反応が寄せられた。私は、一つひとつに、意見や感想を返信した。
そうやって議論を深めていくのが、そのサークルの掲示板の使い方だった。
ほどなく、「Nissie」という名の入会したばかりのメンバーから「るまさんの意見に一票」という書きこみがあった。
私は、ほかのメンバーに対するのと同じように、返信を書いた。
「Nissieさん。ありがとうございます。だけど、そんなに簡単に賛意を表していただいてよい問題なのかと、頭を抱えてしまいました」
すると、翌日には、
「実に我が意を得た思いがしました。まさに、るまさんの言う通りです。簡単に済ませてよい問題ではありません。ですが、なぜ僕が賛意を表したかについて、エクスキューズさせてください」
という書き出しで始まる、生真面目かつ長文のメールが私の個人アドレスに届いた。
八千字を超えていた。
驚いたが、ネットサークル新人だった私は、Nissieさんという人はきっとほかのサークルで活躍していて、このくらいのメールは普通なのだろうと思い込んだ。それで、こちらからも四千字以上の返信をした。彼の「エクスキューズ」が、ドイツの留学体験に基づいて、一国内でのキリスト教の旧教と新教の対立と共存について述べたものだったので、興味をひかれた。
Nissieさんはまたすぐに、ドイツでの具体的な事例をあげた長文の返信をくれた。
その最後に「実は、ドイツと日本との“良心の自由”について憲法学の見地から述べた論文を『早稲田大学紀要』に発表したばかりです。よかったら、読んで、お気づきの点など教えてくださいませんか」とあった。
このときに、彼が憲法学の研究者であること、お互いに早稲田の出身であることがわかった。
論文はすぐに送られてきて、Nissieさんの本名が「西原博史」であることを知った。
が、封筒に書かれている名前も宛先も住所も、すべて活字。その理由は、私が尋ねるより早く、本人からのメールで打ち明けられた。
「字が下手なので、がっかりされたくなくて、一字も書きませんでした」
「そんなに下手なんですか?」
「小学生のガキの頃から上達していません」
「ぜひ拝見したいものです」
「汗、汗……」
しかし、字よりも、中身のほうがずっと問題だった。論文たるや、チンプンカンプンだったのである。まず一文が長い。主語と述語がねじれていたり、どこにつながっているのかわからない修飾語があったり。
私は元高校国語科教師である。補習で、大学受験用の小論文添削をしたこともある。昔取った杵柄、放っておけなくて朱字で修正を書きこんでいった。どのページも真っ赤になった。
(こんなに真っ赤にしたのを送ったら、嫌われるだろうなあ)