【前回の記事を読む】「僕は自分の好きな道を進む」真っすぐだった夫の人生を偲ぶ

第一章 突然の別れ

博史との再会

もともと機械いじりや工作が好きである。小学生のときには古い時計をもらって、何度も分解しては組み立てて遊んでいたそうだ。余談になるが、河原で小石を拾ってきてきれいに磨くとか、カマボコ板からリアルな魚を彫刻刀で掘り出すとか、そういう手作業にしばしば熱中していた。

休日は、古い家具にニスを塗ったり、垣根や棚を作ったりして過ごすことも多かった。DIY用の工具や材料を買いに行くときには、お小遣いを握りしめた子どもみたいにうきうきしていた。

私が台所の調理スペースを、焦がしてしまったことがある。お隣さんから桑の葉を頂戴し、血糖値抑制効果があるとされる桑の葉茶を作っていた。蒸し上げた葉を鉄のフライパンで大量に乾煎りした後、冷えたと思って調理スペースに置いておいたところ、表面は冷えていたのに、山盛りのお茶の中にこもっていた熱が調理スペースのシートを焦がし始めたのだ。

そんなことになるなんて夢にも思っていなかったので、煙が立ち上ってから気づいた。あわててフライパンを取り上げたが、大理石模様のシートに直径三十センチ余りの黒焦げができてしまった。しょげて「ごめんなさい」と謝った私を、博史は叱らなかった。

「おう、すげえな」とひと言、それから焦げ跡を鑑識官のように点検し始めた。一カ月ほど経った夕方、仕事から帰った私がリビングに入ると、「ちょっと台所見てよ」と手を取らんばかりに誘う。見ると、新品みたいに修繕されていた。ネットで元の素材に似た物を捜し、各種道具を駆使して貼りつけたのだった。

「すごーい」

声を上げた私に、ドヤ顔で

「この辺、ちょっと失敗したんだけど」

と、わざと貼り合わせのちょっとずれているところを示す。

「言われなきゃわからない。ありがとう」

ほめたたえると、うれしそうに目元に笑いじわを作った。掃除や整理整頓は苦手で、洗濯物や洋服類は取っ散らかっていたが、工作道具や機械類は大切に保管していた。

パソコンを手に入れた博史は、論文を書くだけでなく、様々な機能を試すことに熱中した。インターネットサークルにも入会した。ハンドル名は Nissie と書いてニッシー。興味のおもむくままにいくつかのサークルをまわり、一九九〇年三月、「異文化交流サークル」にたどり着いた。その二カ月前に、私が入会していた。