ハイデルベルク城は1300年に建設が開始され1693年にプファルツ継承戦争時にルイ14世(在位1643年~1715年)率いるフランス軍によって破壊され1720年に首都がマンハイムに移されるまでプファルツ選帝侯の居城だったところで、何代にも亘り増改築が繰り返され、ルネッサンスからバロックのいろいろな様式の建物が見られます。城のテラスからは旧市街とネッカー川に架かるカール・テオドール橋が見下ろせ、本当に絵になる町です。

 

ちなみに6月のライン川クルーズ紀行で泊まったラインフェルス城がルイ14世軍に攻められたのは1692年でしたからヘッセン侯はプファルツ選帝侯側に立ってフランス軍と戦ったことになります。最近ルイ14世(在位1643年~1715年)の話がよく出てきますが同僚の欧州監査室課長のQさんの意見では「対外戦争とヴェルサイユ宮殿の建築という馬鹿な行為のため1715年の王の死亡時にはフランスは破産状態だった」とのこと、但しイギリス人のフランス人に対する対抗心もあり割り引いて聞かないといけません。

この意見も私がヴェルサイユ宮殿とバッキンガム宮殿を比較して揶揄したことに対する反論で、「フランス王家が無駄金を使って国民を苦しめたから首をちょん切られた」のに比べ「イギリス王家は今でも安泰」だそうです。ハイデルベルク城案内のガイドさんに神聖ローマ帝国の7選帝侯を聞いたところ、ブランデンブルク、ザクセン、プファルツの各侯とボヘミア王およびケルン、マインツ、トリーアの大司教だそうです(バイエルン、オーストリアが入っていないのが意外ですがどなたかドイツ史に詳しい方がいれば確認してください)。

ドイツ諸侯の中では名門なのでしょうがナポレオン戦争後バーデン選帝侯の統治するところとなり、他の選帝侯国と比べると近世での存在感に若干欠けるところがあります。ただ1848年革命の中心地でドイツ国民議会の開催がここで議決(開催場所はフランクフルト)され、1849年のプファルツ・バーデン革命反乱軍の本拠地で1850年までプロイセン軍に占領されていた歴史があります。

 

※注1)ザルツブルク、ドレスデンについては1998年8月29日-9月1日(土-火)ドナウ川都市紀行(ウィーン、ブダペスト、ザルツブルク)と1998年2月7・8日(土・日)ドレスデンおよびベルリン紀行(前篇)をご参照ください。